創業クレオ 懇親会

株式会社クレオの創業者である川畑種恭さんを囲んで旧交を温めました。当従心会俱楽部では大谷代表が社長、会長を務められたほか多くの会員を擁します。

株式会社クレオは、来年3月22日に創立50周年を迎えます。この記念すべき年度を前にして、関係者で旧交を温めよう、ということになりました。年度も改まった4月18日(火)、場所はかつて川畑さんはじめ多くのクレオ関係者が通った銀座のクラブ”酔族館”で、急な声掛けにもかかわらず集まってくれた総勢10名の参加者をもって行いました。

お二人以外は、元クレオ社長の土屋さん、元取締役の太田さん、現監査役の雨田さん、総務部長の川辺さん、中堅幹部として活躍された山城さん、藤井さん、森さん、元女性秘書の西山さんが参加されました。
久しぶりの邂逅(かいこう)で話が弾みましたが、それにもましてカラオケに興じ、暫し時の流れは止まったままで

NPO法人ゆい思い出工房の通常総会に出席しました

6月30日、浦安市で開催されたNPO法人ゆい思い出工房(青木豊理事長)の第15期通常総会に大谷代表と津久井事務局長が出席致しました。
通常総会は、浦安市まちづくり活動プラザで開催され、議案審議が行われ、大谷代表が新たにゆい思い出工房の監事に就任致しました。
これを機に、従心会倶楽部とゆい思い出工房との連携を更に強化する方針です。

右端は挨拶をされる青木豊理事長

風狂盲人日記 ⑳ 日本語教育の大転換

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「日本語教育の大転換 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年7月5日

 日本語教育の世界が大きく変わろうとしている。今春新しくできた法律で、来年4月以降日本語教師に資格認定制度が導入され、日本語学校も公的機関から認定されることが決まった。日本語教師、日本語学校はこれまで事実上の無法状態にあり、誰でも自由に教師になり学校を作ることができていた。そこに国の法律の網が被せられる訳で、教師、学校共に資格審査が厳しくなる。そのこと自体は総論として、今後の日本が「多文化共生社会」に向けて体制を整える上で極めて重要であり、望ましいことなのだが、具体的な内容がまだ不明であり、日本語教育の現場にかなり不安を拡げつつあることは確かだ。

 日本政府は明治以来つい最近まで、「政府が行うのは日本国民に対する施策であり、外国人に対する政策は政府の関知するところではない」との立場を堅持していた。そこで文部省も「日本国民でない外国人に教育をすることは文部行政の埒外(らちがい)である」と断じて憚らなかった。

 それが、1980年代の中曽根内閣の「留学生受け入れ10万人計画」が政治的判断で打ち出された結果、政府としても対応を迫られたのだが、日本語教育そのものについての検討は殆どなされなかった。私が80年代前半、文部省記者クラブ詰めだった時、同省の幹部らとよく懇談するなかで、外国人に対する日本語教育に文部省は積極的に取り組むべきだと主張したが、全く相手にされなかった。

 そこで89年、日本が経済大国として急成長した中で、中国を始め、東南アジアからの出稼ぎ労働者が日本に殺到し始め、その安直な入国の方法として、日本語学校で学ぶ「留学」を目指した。ところが、そうした外国人の受け入れをする日本語学校の中に、入学金や授業料を取ったまま学校を閉鎖したり、経営者が行方不明になるなどのトラブルが続出し、特に、中国からの留学希望者たちが数週間にわたって上海の日本領事館を取り囲んで抗議するという外交問題にまで発展した(上海事件)。それに慌てた政府は、外務省、文部省、法務省の3省が協議して、応急の善後策を取ることになった。

 しかし法務省は「不良外国人」の入国を波打ち際で止めることに専念しており、外務省は外交問題にさえならなければ教育問題には関知しないという立場だった。そして肝心の文部省は代々の既定方針である「外国人の教育は文部行政ではない」との建前から、日本語学校の審査や日本語教育の内容の検討などについては殆どやる気がなく、日本語教育の話は外局である文化庁の国語課に任せることにした。国語課は当用漢字の制定や送り仮名の是非などを専門家が集まって議論する国語審議会の事務局であり、日本語教育そのものについては事実上殆ど野放しだったと言っていい。

 そうした事情から、日本語学校を巡るトラブルを防止し、日本語教師、日本語学校の質を高めるための新しい機関として、一般財団法人日本語教育振興協会(略称「日振協」)が3省の協力で設立され、この団体が日本語学校を会員として、その会員校の教育内容の審査を引き受けることになった。

その後、21世紀になって政府は国際化時代に対応して、留学生の受け入れ数を一挙に30万人にまで引き上げてきた。

 この間、私は日経新聞記者として、公益財団法人国際日本語普及協会(AJALT)が外国人向けの優れた日本語教科書(Japanese for Busy People)を発刊した70年代にいち早くその社会的意義を評価して、社会面のトップで大きく扱い、その後も日本語教育の世界を継続的にフォローしてきた。記者としての最後の仕事は、2002年に「日本語教育の新世紀」と題する24回の連載を日経紙面で執筆し、日本語学校の実情、日本語教師の実態を詳しく報道することだった。

 AJALTは既に50年以上、来日する外国大使館員、外資系企業、宣教師、学者研究者などに日本語を個人授業することに実績を挙げ、全国各地の自治体が地域に住む外国人を対象に開く日本語講座の指導に当たってきた。そして同時に、東南アジアからの難民に対する日本語研修や、政府が受け入れる海外からの技術研修生の教育指導にも大きな成果を上げてきている。最近ではウクライナからの3000人を超す避難民のうち、日本滞在を希望する約300人に対する日本語教育も担当している。

 私は過去20年AJALTの理事、および日振協の評議委員会議長、評価委員を務め、全国各地の日本語学校の経営状況、教育内容を視察しながら調べ評価していった。その評価の基本姿勢は「こうすればもっと良くなる」という積極的な提言が主であり、学校側の個性豊かな教育内容や、その優れた指導ぶりについては積極的に応援する姿勢を第一にしていた。

 日振協の活動に対して、日本語学校の一部が政治家を巻き込んで「法的根拠がないのに学校を審査するのはけしからん」と主張し、政権を取った民主党が事業仕分けでやはりこの問題を政治的に取り上げて、法的な整備をすべきことを指摘していた。今全国に日本語学校が830校あり、約8万人の留学生を教育している。その大半は日本の大学に留学を希望する人たちなのだが、最近は日本語を学んで仕事を覚えたら本国に戻ってビジネスをしたいという人たちも増えている。日本語学校の7割は株式会社であり、公的機関から教育機関としての審査を受ける学校法人は2割にも満たない。株式会社なので経営が思わしくなければ廃業するという所も少なくなく、それが在校生とのトラブルも生んでいた。

 そうした流れの中で漸く2019年、国会議員全員による議員提案という珍しい形で「日本語教育推進法」が制定され、日本語教師及び日本語学校の認定制度が法律的に整うことになった訳だ。

 先月にはAJALTの総会、日振協の評議委員会があり、どちらにも私はZoomで参加し発言したが、文科省が今後日本語教育に否応なく本格的に取り組まざるを得なくなった場合、この省の最大の特徴として、全国一律公正公平の名のもとに、これまで自由闊達に優れた教育内容で指導を行ってきた日本語学校を一律に枠にはめて、その多彩な個性を摘んでしまう心配があるのではないかということを懸念している。また今、中高年齢者の多くが、増加する在日外国人に対して生活日本語を教える日本語教師になりたいという希望が多いのだが、そこに国家試験の枠をはめることで、むしろ日本語教師になりたいという人たちの意欲を削ぐことになる、あるいは既に日本語教師をしている人たちの間に自分の地位、処遇がどうなるのかという不安が広がっているのも間違いがない。

 文科省・文化庁は今、その認定制度の詳細を固めるため学識経験者を集めて意見を聞いているが、その概要が固まって政府の方針として出てくるのはこの秋から年末だ。その間、AJALTや日振協など優れた団体の意見も十分に取り入れながら、納得のいく方向性を打ち出すように心から願っている。

(つづく)

NPO法人ゆい思い出工房の幹部が来社

6月16日、NPO法人ゆい思い出工房の青木豊理事長、南雲康宏事務局長のお二人が来所され、今後の連携方針について、従心会俱楽部の御厨シニアマネージャーと打ち合わせを行いました。
その結果、両団体の方向性が一致している、社会貢献、シニアの活性化について今後極力連携を取ることにいたしました。
特にシニアの相談事項の対応、シニアの事業についてにサポート、及び連携協議会、懇親会、セミナー社会見学、旅行などのついても協力することにいたしました。

訃報: 奈良井 満洲雄様、従心会倶楽部シニアアドバイサー

奈良井 満州雄氏
従心会倶楽部 シニアアドバイザー
元飛島建設株式会社 土木部長

奈良井満洲雄(ならい・ますお)氏は予てから療養中のところ6月6日5時25分、老衰の為ご急逝されました。享年88才。
 通夜、告別式につきましては家族葬(近親者のみ)にて6月9日に執り行なわれました。

ここに生前のご厚誼に心より感謝し謹んでお知らせいたします。

ご遺族住所:埼玉県さいたま市西区中針1487-3
      奈良井すづ枝様(御令室)

東海村 山田村長の面談

6月6日、茨城県東海村を訪問し、山田修村長と面談し意見交換を行いました。従心会倶楽部からは大谷代表及び津久井事務局長が出席致しました。
東海村では、2018年に東海村役場の幹部社員を対象に「行政経営品質向上セミナー」を実施した経緯があります。

中央が山田修村長

風狂盲人日記 ⑲ 教え子から初の政治家誕生!

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「教え子から初の政治家誕生!」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年6月15日

 「先生、連絡が遅れてすみません。まだお礼の挨拶回りが続いています。」

 携帯電話から飯牟禮克年(いいむれかつとし)君(30)の弾んだ声が聞こえてきた。国際教養大学の私の教え子で、4月末の秋田市議会議員選挙で初当選を果たした。それも最年少で、6695票の最高得票を記録しての快挙である。

 彼は熊本県出身。教養大に憧れ、初めて住んだ秋田がすっかり好きになり、卒業後、県内の最有力紙、魁新報の記者となって県内を取材して回っていた。そのうち「このままでは秋田がダメになる。自分にできることは何か」を考え続け、政治家になることを決めた。大学で知り合った秋田出身の美人と結婚し、昨年には娘も生まれ、念願の市会議員となって二重の喜びとなった。国際教養大が開学した2004年には、秋田県の人口は120万人だった。それが現在は90万人にまで落ち込み、経済が沈滞し、人口減に歯止めがかからない状況だ。

 当選した当日には私もすぐにメールでお祝いを述べ、時間的に余裕ができたら直接連絡してくれ、と伝言しておいた。市議会では予算・決算委員会、厚生委員会に所属することが決まったというので、早速思いつくことを幾つかアドバイスした。まず、所属委員会の過去1年間の議事録を通読して、どんなことが主な議題になっているかを把握すること。自治体の予算は7割が人件費であり、事業費は3割にも満たない。その 事業の内容は、その年の予算案を見ればどこにどう配分されているかが分かるので、その執行状況をチェックしていけば、行政の課題、問題点が透けて見えてくる。地方議会では独特の慣習や各政党・会派の力関係が大きく議論を左右する。それを知るためには、議会事務局のベテラン職員に議会の過去10年、20年の流れ、特徴を聞くこと。最年少の新人議員なので、他のベテラン議員たちに礼を失しないよう配慮しながら、教えを乞う形で勉強させてもらうという態度で接することが重要―――などを指摘した。いずれも私自身が日本経済新聞記者時代に、東京都議会や国会を担当した際、励行してきたことばかりだった。

 私は2004年の開校から12年間、中嶋嶺雄初代学長の補佐役として、教授兼図書館長を務めてきた。この大学は、全国に800ある大学のうち、全く他に例のないユニークな制度をたくさん持った「新構想大学」であり、形としては県が出資する県立大学に似ているが、実態は極めて私立に近く、学長の経営のリーダーシップによって国際競争力の高い大学として、グローバル人材を育成することに重点を置いている。事実上の全寮制で、授業は全て英語で行い、学生全員に1年間の留学を義務付けている。定員は当初わずか100人で、現在は175人だが、他の国公立大や有名私大と受験日を意図的にずらしているため併願が可能であり、受験生は当初定員の20倍以上、今も10倍を超え、実際に入学するのは例年200人となっている。学生は47都道府県全県から集まり、それだけでも学内は異文化接触の機会の多い所になっているが、1年間の留学が全て提携校との交換留学のため、毎年約200人の外国人留学生が来ることになっており、キャンパス内の学生は常に四分の一が外国人という状態になっている。

 2008年に初めて卒業生を出して以来、常に学生の殆どが第一志望の企業に就職できていて、厳しい教育と1年間の留学を経験してきたことから、海外で活躍できる人材として一流企業からも歓迎されている。同時に、秋田で生活する中で秋田が好きになり、秋田のために貢献したい、と考える学生もかなり居て、既に自分で会社を起こして社長になって活躍している者も何人もいるし、今回は政界に飛び込む例も出てきた訳だ。卒業生の殆どは今20代から30代。事実上の全寮制なので、OBたちのネットワークもしっかりとしており、これからそうしたOBたちが日本及び海外と繋がって、秋田に新しい風を吹き込み、地域活性化に大きく貢献するだろうと私は大いに期待している。

(つづく)

千葉哲雄様 (個人会員)が来所されました

5月31日、長く海外に勤務されており、従心会倶楽部については創業時から支援戴いておりました千葉哲雄氏が来訪されました。
同氏は飛島建設の海外部門の先駆者として、長く海外に勤務され、特に、香港、シンガポール、オーストラリア、フィリッピン、インドネシア、等で地下鉄工事、高速道路工事、処理場工事、建築工事など多大な貢献をされました。
更に又、コンサルタントとして、チモール、アフガニスタン、ベトナム、タイ等など30か国において土木建設工事の指導、支援をされました。

右端は千葉哲雄氏、左端は飛島章氏(元飛島建設社長)

山田二三雄先生を訪問

5月16日、株式会社従心会倶楽部 顧問でNPO法人 日本カンボジア交流協会 理事長の山田 二三雄先生を都内・湯島の本部を訪問し、今後の事業について意見交換を行いました。

山田先生は、最近フッチーおじさんのなんでも相談室「HOLY MISSION」を立ち上げ、これまでの幅広いご経験を活かした活動を開始されました。

右から2二人目が山田二三雄先生

フッチーおじさんのなんでも相談室「HOLY MISSION」

北海道より会員の佐藤健一氏来所

5月16日、従心会俱楽部倶楽部創業時より活動頂いている佐藤健一氏が札幌より頼所され、これからの活動について協議しました。

佐藤氏は富士ゼロックス、日本調剤で活躍されました。その後、医療法人財団の常務理事を経て現在、社会福祉法人の評議員議長の要職にあり、幅広い活動を続けておられます。

左側が佐藤健一氏