従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「教え子から初の政治家誕生!」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2023年6月15日
「先生、連絡が遅れてすみません。まだお礼の挨拶回りが続いています。」
携帯電話から飯牟禮克年(いいむれかつとし)君(30)の弾んだ声が聞こえてきた。国際教養大学の私の教え子で、4月末の秋田市議会議員選挙で初当選を果たした。それも最年少で、6695票の最高得票を記録しての快挙である。
彼は熊本県出身。教養大に憧れ、初めて住んだ秋田がすっかり好きになり、卒業後、県内の最有力紙、魁新報の記者となって県内を取材して回っていた。そのうち「このままでは秋田がダメになる。自分にできることは何か」を考え続け、政治家になることを決めた。大学で知り合った秋田出身の美人と結婚し、昨年には娘も生まれ、念願の市会議員となって二重の喜びとなった。国際教養大が開学した2004年には、秋田県の人口は120万人だった。それが現在は90万人にまで落ち込み、経済が沈滞し、人口減に歯止めがかからない状況だ。
当選した当日には私もすぐにメールでお祝いを述べ、時間的に余裕ができたら直接連絡してくれ、と伝言しておいた。市議会では予算・決算委員会、厚生委員会に所属することが決まったというので、早速思いつくことを幾つかアドバイスした。まず、所属委員会の過去1年間の議事録を通読して、どんなことが主な議題になっているかを把握すること。自治体の予算は7割が人件費であり、事業費は3割にも満たない。その 事業の内容は、その年の予算案を見ればどこにどう配分されているかが分かるので、その執行状況をチェックしていけば、行政の課題、問題点が透けて見えてくる。地方議会では独特の慣習や各政党・会派の力関係が大きく議論を左右する。それを知るためには、議会事務局のベテラン職員に議会の過去10年、20年の流れ、特徴を聞くこと。最年少の新人議員なので、他のベテラン議員たちに礼を失しないよう配慮しながら、教えを乞う形で勉強させてもらうという態度で接することが重要―――などを指摘した。いずれも私自身が日本経済新聞記者時代に、東京都議会や国会を担当した際、励行してきたことばかりだった。
私は2004年の開校から12年間、中嶋嶺雄初代学長の補佐役として、教授兼図書館長を務めてきた。この大学は、全国に800ある大学のうち、全く他に例のないユニークな制度をたくさん持った「新構想大学」であり、形としては県が出資する県立大学に似ているが、実態は極めて私立に近く、学長の経営のリーダーシップによって国際競争力の高い大学として、グローバル人材を育成することに重点を置いている。事実上の全寮制で、授業は全て英語で行い、学生全員に1年間の留学を義務付けている。定員は当初わずか100人で、現在は175人だが、他の国公立大や有名私大と受験日を意図的にずらしているため併願が可能であり、受験生は当初定員の20倍以上、今も10倍を超え、実際に入学するのは例年200人となっている。学生は47都道府県全県から集まり、それだけでも学内は異文化接触の機会の多い所になっているが、1年間の留学が全て提携校との交換留学のため、毎年約200人の外国人留学生が来ることになっており、キャンパス内の学生は常に四分の一が外国人という状態になっている。
2008年に初めて卒業生を出して以来、常に学生の殆どが第一志望の企業に就職できていて、厳しい教育と1年間の留学を経験してきたことから、海外で活躍できる人材として一流企業からも歓迎されている。同時に、秋田で生活する中で秋田が好きになり、秋田のために貢献したい、と考える学生もかなり居て、既に自分で会社を起こして社長になって活躍している者も何人もいるし、今回は政界に飛び込む例も出てきた訳だ。卒業生の殆どは今20代から30代。事実上の全寮制なので、OBたちのネットワークもしっかりとしており、これからそうしたOBたちが日本及び海外と繋がって、秋田に新しい風を吹き込み、地域活性化に大きく貢献するだろうと私は大いに期待している。
(つづく)