ダイオージャパン株式会社、オキライブ株式会社幹部と打合せ

4月5日、ダイオージャパン株式会社 菅原渉社長、園山直樹相談役、オキライブ株式会社 沖山勝巳社長が来社され、不動産開発事業に関わるコンサルティング業務を中心に、今後の連携について意見交換を行いました。

向かって右端より、沖山社長、菅原社長、園山相談役

特別講演会:青木豊氏の「世界一周ゆい紀行106」開催のご案内

従心会倶楽部と連携しているNPO法人ゆい思い出工房の青木豊理事長ご夫妻は、昨年ピーズボートで106日間にわたる世界一周の貴重な船旅をされました。
そこで、今回の従心会倶楽部特別講演会は、青木豊氏をお招きして、世界一周の旅の様子や感動したこと、ピースボートの中の様子などをご紹介いただく特別講演会を開催致しますのでご案内申し上げます。
今回の世界一周は、2023年8月24日に日本を出発し、12月6日に帰国された106日間の地球中廻りコースの船旅で、寄港地26港、25都市もの多くの都市を訪問されました。

講演会終了後は、久しぶりに青木講師の他、従心会倶楽部及びゆい思い出工房の関係者による懇親パーティも行い、交流いただきます。
新型コロナウイル感染拡大の影響で、しばらく懇親パーティを自粛しておりましたが、多数の皆様のご参加を賜りたく、よろしくお願い申しあげます。

【開催要領】

■開催日時:
2024年5月31日(金)15:00~19:00(受付開始:14:30)
15:00~17:00 特別講演会
17:30~19:00 懇親パーティ

■会場:
中国飯店 潮夢来(ちょうむんらい)
東京都港区東新橋1-6-1 日本テレビタワー1階
TEL:03-5568-1818

〔公共交通機関でのアクセス〕
JR線 新橋駅
…汐留口(地下)から浅草線方面への階段を降りて直進。
プラザやタワーレコードがある地下通路右手側、ロイヤルパークホテルの屋外エスカレーターで「日テレ大屋根広場」に上り右手側にあります。
都営地下鉄 大江戸線 汐留駅 徒歩5分
都営地下鉄 浅草線 新橋駅 徒歩5分
東京メトロ 銀座線 新橋駅 徒歩7分

■会費:5,000円
事前に次の銀行口座にお振込みをお願い致します。
〔振込先〕
城南信用金庫 新橋支店 普通預金口座 469126 株式会社従心会倶楽部

■募集定員:先着40名
お申込み締切は5月24日(金)とさせていただきます。

■お問合わせ及びお申込み方法
株式会社従心会倶楽部 交流事業担当 津久井均
〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-6-2 第2秋山ビル3階
Email:h.tsukui@jushinkai.com
TEL:03-6402-8138

次のボタンをクリックいただきますと「参加申込書フォーム」が表示されますので、所定事項を入力いただき5月24日までに送信して下さい。

大谷代表が京都の株式会社全笑を訪問

4月2日、大谷代表が顧問先である京都の株式会社全笑を訪問し、決算内容の精査、新年度の事業方針の確認を行いました。事業発展のためにかなり対策を講じている事を確認いたしました。

株式会社全笑(ゼンショウ)
代表者:代表取締役社長 平野仁智 氏
本社所在地:
〒610-1105 京都市西京区大枝塚原町3-152 シャルレ桂坂1階
TEL:075-874-3198 FAX:075-874-3168
事業内容:
・香辛料原料の加工卸
・香辛料原料の輸出入
・小売店舗運営
・障がい福祉事業所運営
・飲食店運営
・宿泊施設運営

片山理事、梅沢会員と懇談

4月5日、従心会倶楽部の片山理事、梅沢会員とこれからのシニア対応についての意見交換会を行いました。
当社からは、大谷代表と御厨シニアマネージャーが対応致しました。

右側から、1人目が梅沢会員、2人目が片理事

一般社団法人令和人間塾・人間学lab.の関係幹部が来社

3月28日、姫路より一般社団法人 令和人間塾・人間学 lab.竹中栄二理事長、阿比野建設業株式会社 阿比野剛代表取締役会長、岐阜県に本社がある株式会社おぎその創業者 小木曽順務氏が来社され、今後の連携について意見交換を行いました。

左端から順に、小木曽順務氏、阿比野剛氏、竹中 栄二氏

一般社団法人 令和人間塾・人間学lab.
代表者:理事長 竹中 栄二 氏
本部所在地:〒670-0955 兵庫県姫路市安田4丁目80番地 アビックス駅南大路6階
事業内容:「人間学を学ぶ」
      ブレない自分を練り上げて、周りを照らす人物になるために

阿比野建設株式会社
代表者:代表取締役会長 阿比野 剛 氏
本社所在地:〒671-1116 兵庫県姫路市広畑区正門通四丁目3番地3
事業内容:兵庫県姫路市の総合建設業

株式会社おぎそ
創業者:小木曽順務 氏
本社所在地:〒509-5401 岐阜県土岐市駄知町1468番地
事業内容:強くて割れにくい強化磁気食器の専門メーカー

風狂盲人日記 ㉙ 新聞記者冥利

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。今回のテーマは「 新聞記者冥利」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年3月26日

 あれからもう20年経ったか、と感慨を催す。2004年3月に新聞記者を辞め、翌4月から大学教授に転身した。日本経済新聞に勤め始めたのが1972年。記者生活を32年送り、定年まで勤め続けるつもりだった。それを辞めたのは大学時代の恩師中嶋嶺雄(東京外国語大学前学長)から、「秋田に全く新しい大学を作るので手伝ってほしい」と頼まれたからだ。記者時代から日本の教育制度のおかしいところに不満を感じ、取り分け大学教育のあり方に強い疑問を持っていただけに、「国際競争力の高い大学を作って、本当にグローバルに活躍できる人材を育てたい」という先生の情熱に共感したため、ほとんど迷うことなく承諾した。

 学生時代には別に新聞記者を強く志望していた訳ではない。公務員や銀行マンなど「安定した職業」には何の魅力も感じず、商社か出版社などが面白そうだと思っていたのだが、たまたま大学事務局の親しい学生課長から、「日経新聞の学内応募締め切りが今日だ。君には向いているのではないか」と声をかけられ、気軽に募集要項にサインしたに過ぎない。新聞記者の募集枠が約50人、それに応募者が全国から2000人以上いると聞いて、「何の準備もしていないので、とても受かる訳がない」と半ば気軽な「お試し」気分で受けた。それが予想に反して、一次の筆記試験、二次の集団面接、三次の役員面接とあっさりパスしてしまったので、他の入社試験を受ける気も無くなって記者となった。

 2週間の研修の後社会部に配属され、当時スト権ストで揺れていた国鉄の春闘を取材し、大気汚染による光化学スモッグで東京練馬の中学校の生徒達がバタバタ倒れる事件を取材することが記者生活のスタートとなった。担当部署として東京都庁、国会、警視庁、文部省、宮内庁などを歴任し、特に選挙取材、総会屋・暴力団対策、教育問題で、それまで全く紙面で扱われることのなかった問題を企画記事として取り上げた。学生時代から通訳のアルバイトをした体験を生かして、来日する外国人のインタビュー記事を積極的に書き、「紙面の国際化」の一翼を担ったと自負している。

 81年には米スタンフォード大学が日経新聞社に、「日本のプレゼンスが高まっているので、日本の政治、経済、社会問題など幅広く英語で議論できる記者を送ってほしい」と要請があり、私が選ばれることになった。滞在費は大学持ち、交通費と生活費の一部を日経が負担するという取り決めで、丸7ヶ月間、アメリカの記者12人とヨーロッパ・アジア5人のジャーナリズムフェロー(研究員)として毎日あれこれ議論した。

 新聞記者ほど面白い仕事は無いと心から思い、毎日人に会って当事者から直接詳しい話を聞き、それを紙面に書き続ける魅力にのめり込んでいった。私が中心になって取材・執筆した社会面長期連載「サラリーマン」が菊池寛賞を受賞したのは望外の驚きであり、喜びだった。社会部では夏休みや正月企画を主に担当し、それまでの日経紙面にない面白い連載を沢山書くことができたし、サウジアラビアに1ヶ月滞在し、82年正月には夕刊一面に「サウジ昨日今日」と題する現場ルポを14回書かせてもらった。日経朝刊文化面の看板コラム「私の履歴書」に初めて外国人としてフルブライト元米上院議員を登場させ(91年5月)、2001年10月にはジャック・ウエルチ米GE会長、02年10月にはルー・ガースナーIBM会長も登場させた。記者として数えきれないほどの人にインタビューし、それを基に「人間発見コラム」で山口昌男(人類学者)、嵐山光三郎(作家)、富司純子(女優)、モンデール駐日大使夫人などを連載した。新聞に書ききれなかった取材の内幕話や社会問題についての自分の主張などについては、外部の雑誌に請われるままに大量に書いた。法務省の外郭団体・入管協会の月刊誌『国際人流』には、親しい編集長の依頼を受けて「人流インタビュー」を約10年間にわたって連載した。記者としての最後の大きな連載記事は、2002年4月「日本語教育の新世紀」と題し、留学生受け入れ問題や出稼ぎ外国人の受け入れ、日本語学校の実態などを詳しくルポした。振り返ってみれば、実に毎日が面白く、年末年始も盆も正月もない忙しい毎日だったが、正に「仕事が趣味」の生活に浸りきっていた。

 04年3月中旬、中嶋先生の勧めに従って、私の退職記念、というより「新しい門出を祝う会」(会費1万円)を日本プレスセンターの大ホールで催した。呼びかけ人は中嶋先生、杉田亮毅日経社長、遠山敦子文部科学大臣、江副みどり出版社社長で、実に370人が出席してくれた。ロサンゼルス特派員を辞める時に現地の商工会議所、日本企業団体などが私の送別パーティーを企画してくれた時も、300人以上の人がリトル東京のホテルニューオータニの庭園に集まってくれた。ロサンゼルスでも東京でも、一新聞記者の送別パーティーにこれだけ外部の人が集まったというのは前例がないとのことで、私自身記者として、集まった人たち全員と取材を通して知り合ったことを思い出しながら感謝感激だった。誠に新聞記者冥利とはこのことだと実感したものだった。

(つづく)

 

NPO法人ゆい思い出工房の理事会に大谷代表が出席

2月22日、浦安市で開催されたNPO法人ゆい思い出工房の理事会に従心会倶楽部の大谷代表が出席されました。大谷代表はゆい思い出工房の監事に就任されておられます。
この理事会では、3月15日(金)~20日(水)に開催される「第2回絆100公募展Webフォトコンテスト写真展」の運営を中心に話し合いがおこなわれました。

向かって右が青木理事長、左が吉村理事(浦安市議会議員)

NPO法人ゆい思い出工房主催 第2回絆100公募展 Webフォトコンテスト 写真展のご案内

従心会倶楽部と連携しておりますNPO法人ゆい思い出工房では、この3月15日(金)~3月20日(水)まで浦安市の浦安市民プラザにおいて、「第2回絆100公募展 Webフォトコンテスト 写真展」を開催致しますのでご案内申し上げます。
この写真展には従心会倶楽部も協賛しておりますので、たくさんの皆様のご来場をお待ちしております。

日時:2024年3月15日(金)~3月20日(水)9:00~17:00
              (3月20日は15:00まで)
場所:イオン新浦安ショッピングセンター4F
   浦安市民プラザWave101 市民ギャラリー
   千葉県浦安市入船1-4-1
展示:素敵な「人と人との絆」・・・そのイメージは?と問いかけ、
   全国からwebで応募いただいた写真にコメントを添えた作品の
   中から、入選された100作品を展示します。
主催:NPO法人ゆい思い出工房
協賛:株式会社従心会倶楽部

NOP法人ゆい思い出工房について
ゆい思い出工房は「人と人をアートで結ぼう」という理念で2009年にNOP法人として認可され、「ゆいの輪」を広める活動を行っております。家族・社会の「絆」が最も大切であることは東日本大震災やコロナ禍を経験し、万人の認めるところとなりました。ゆい思い出工房は、地域、歴史、偉人等「ゆいの輪」運動で社会に貢献しておられます。


代表者:理事長 青木 豊 氏
〒279-0021 千葉県浦安市富岡3丁目3番C-211
Webサイト:https://www.yui-omoidekobo.org/

風狂盲人日記 ㉘ ビバ!! オキナワ

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。今回のテーマは「ビバ!! オキナワ 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年2月29日

 15日(木)から18日(日)まで沖縄に行ってきた。この20年以上、毎年1~2回は沖縄に旅行するのを慣例としてきたが、コロナの影響と視覚障害が重なって、実に4年ぶりの沖縄旅行となった。暖かい南の島の潮風を肌で感じ、現地の親しい人たちと会ってオリオンビールと泡盛で乾杯し、ミミガー、ジーマミー豆腐、島ラッキョウに海ブドウなどをツマミに話題は尽きない。島唄ライブの居酒屋で三線と太鼓の音を楽しみ、馴染みのカラオケバーにも立ち寄って、美人ママのプロ級の歌唱力で私の好きな「芭蕉布」「童神(わらびかみ)」を聴かせてもらった。

 沖縄には、1982年に本土復帰10周年の模様を取材するために訪れたのが最初だった。太平洋戦争時の米軍による「鉄の嵐」の爆弾で数十万人が死傷し、戦後も72年まで米軍統治下にあった。日本本土を守る犠牲を強いられてきた地だが、そこに住む人たちは明るく、大らかに、したたかに自分たちの生活を守り、独特の歴史と文化をしっかりと守り続けてきている。

 今回は大学の同級生Hと妻に同行してもらうことで、那覇の県庁駅前のホテルに3泊し、毎日タクシーであちこち出かけた。平和祈念公園は20年ぶりくらい。数年前に漏電事故で焼失した首里城の復元工事の現場にも行き、全国から集まった宮大工達が基礎工事している模様を教えてもらった。那覇市内の有名な牧志市場も3年がかりで全面的に建て替えられ、綺麗になったという。その2階で、市場で注文した魚を料理してもらったのに3人で舌鼓を打った。

 私が沖縄に魅せられた理由の一つに、那覇出身の同級生から強く誘われたことがある。沖縄を訪れる度に彼と市内のあちこちの島唄ライブや居酒屋、粗末な食堂を巡り歩き、深夜まで沖縄の生活や米中対決の前線基地としての国際政治問題について語り合った。彼は数年前に病死したが、その息子が県庁職員として活躍しており、沖縄に行く度に親切に歓迎して沖縄の最新事情を詳しく教えてもらっている。

 今回特に印象深かったのは、南城市にある沖縄インターナショナルスクール(OIS)を訪ねて、小学5年生の研究発表を聞いたこと。OISは保育部から高校までで全校生徒約200人。それに欧米・アジアなど10ヵ国以上から集めた教師が40人で、少人数教育に徹している。この学校経営者知念正人さんを7年前に取材した折、教育論ですっかり意気投合し、その国際バカロレア(IB)方式を導入した教育に賛同してきた。IB方式は生徒の知的好奇心を刺激して、自分の好きなテーマで新聞・雑誌からインターネットなど手に入れられる情報を調べ、仲間たちと議論し合いながらまとめていく。授業はすべて英語で行い、その成果を父兄や一般市民に公開するもので、この日は小学5年生の生徒達4組の発表を聞いた。1組20分の持ち時間で、それぞれ自分の体験や身近な見聞を基に、海の生物の生態、自然保護、人種差別、障害者に住み良い街づくりなどをテーマに、流暢な発音で論旨明快に元気良く発表するのに感心した。せっかくの機会なので4組の発表に一つ一つ私なりに英語でコメントをしたが、生徒達の発表の質、内容の高さを、普通の中学・高校レベルのものだと褒めた。生徒達は調べたことを黒板やポスターにまとめ、動画まで作って示していたが、残念ながら私にはそれらは見えない。だが、しっかりとしたプレゼン力はよく分かり、どれだけ準備したかを聞くと、この1週間に20回以上声に出して繰り返し練習したとのことだった。

 日本の公教育では、文科省の細かな学年別学習指導要領に縛られ、小学生が中学・高校レベルのところまで学ぼうとするのを抑えることが事実上普通になっている。その「一律・平等」主義が子供たちの知的好奇心を自由に伸ばすことを抑えているのが実態だ。OISのようにIB方式を導入して子供たちが積極的に先の先まで考えていくことを促す教育が、公教育の弊害を切り崩す突破口になると私は考えていた。実は文科省もこうしたIB教育の導入を認めているのだが、現在では全国でもごく僅かの学校でしか採用されていない。その理由は、教師にそれだけの優れた指導力が必要とされるからだ。OISが今後一段と成果を高め、望ましい教育のモデルケースになることを期待している。発表を聞いた後、地元の主婦に呼び止められた。7年前にOISが主催した琉球新報ホールでの私の特別講演会に親子で参加した聴衆の一人で、私の講演に刺激されて子供が現在秋田県にある国際教養大学に進学して、元気に勉強しているという。その感謝の言葉を聞いて、私の方こそ予想外の嬉しい報告だと感謝した。

(つづく)