5月16日、株式会社従心会倶楽部 顧問でNPO法人 日本カンボジア交流協会 理事長の山田 二三雄先生を都内・湯島の本部を訪問し、今後の事業について意見交換を行いました。
山田先生は、最近フッチーおじさんのなんでも相談室「HOLY MISSION」を立ち上げ、これまでの幅広いご経験を活かした活動を開始されました。

フッチーおじさんのなんでも相談室「HOLY MISSION」

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「オレゴンからの便り」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2023年5月18日
米オレゴン州に住む高校時代の友人K子さんからメールがあった。近況報告を兼ねて、彼女が私の「盲人日記」を全て読んだ感想を記してくれたものだが、「日記の内容が多彩であり、しかも独自の視点で深く書かれていて、読者に勇気を与える」と絶賛してくれているのがとても有難かった。
彼女は大学を卒業後、プロの翻訳家としてベトナム戦争を素材にした米国の小説を幾つか(そのうち一作は映画化もされた)、更に米有力政治家の評伝などを翻訳していた。その訳文は英語の複雑微妙なニュアンスの部分を巧みな日本語で分かりやすく、しかも美しく描いており、翻訳家としてなかなか優れた力量の持ち主だと感心していた。
米国人と結婚し、もう長い間オレゴン州は郊外の山荘に住み、家庭菜園や草花の世話をしながら、四季折々の周辺の情景を詩に書く生活を続けている。
ネットを通じて、日本の現代詩の動向についても詳しくフォローしていて、高校の先輩がナスやキュウリ、大根など野菜をテーマにした詩を書いていることなどを教えてくれた。
50歳前後からバレーを習い始めた。トウシューズを履いて背筋を伸ばし、若い人たちと一緒に踊っていると気分も良く、姿勢も良くなると語っていた。更にオペラ歌手について声楽にも取り組んだことがあり、気管支を拡げ横隔膜を動かすことが体にとても良い、と私にも歌唱健康法を勧めてきた。
そうした彼女の近況を知るにつけ、ふと、中学時代に愛読したドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)を思い出した。彼が20代で書いた『郷愁』『車輪の下』、また40歳で執筆した『デミアン』などは、10代の少年の多感な心の揺れを見事に描いたものだが、その彼の作品を最近改めて年代順に十冊近く読み直した(朗読CDで聴いた)。晩年のエッセイ集に『人は成熟するにつれて若くなる』という作品があった。ナチスドイツを嫌って第一次大戦前からスイスに移住し、湖畔のアトリエで南アルプスの山々や草原を毎日眺めながら夥しい数の風景画を描き続けた。第二次大戦中には『ガラス玉演戯』という現代社会を痛烈に批判する長編のSF小説を書き、これがノーベル文学賞の受賞作となった。
戦後は訪ねてくる友人たちとの会話を楽しみ、膨大なエッセイを書き続け、世界各地の友人に丁寧な長い手紙を書き送っている。彼は少年時代から詩人に憧れ、詩作を続けることが生涯の生きる糧になっていた。 没後、彼の小説、詩、エッセイ、書簡類を整理した全集が編まれたが、全100巻を越える分量になっているという。年齢を重ねても青春時代のナイーブな感性を失わぬどころか、ますますそれに磨きをかけ優れた文章を綴っているが、その作品には人を見る目の優しさがあふれている。
そうした「一生青春」を地で行くような生き方をすることが、私たち後期高齢者にも望ましいし、その好例がオレゴンのK子さんにも窺えると思う。
(つづく)
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。今回のテーマは「秋田美人の謎」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2023年4月30日
23日の日曜日、東京神田で開催された結婚披露宴に出席した。大学退職後東京で親しくなったM子のファンクラブ会長と応援団長を自認しているので、その友人代表として喜んで祝辞を述べさせてもらった。
M子は秋田市郊外の農家の出身。私が2004年から16年まで務めた国際教養大学の場所と同じで、彼女が中学・高校生の頃、恐らく田んぼのあぜ道や農道で何度かすれ違っていたはずだ。彼女は私と同じ東京外大を卒業した後、東大の大学院で国際協力論を学んで修士号を取得し、その後私の友人が経営する研究所で主に日本とインドネシアの経済交流事業、人的文化的交流事業の促進に努めていた。
そして新郎はやや年長の会社幹部で、2年ほど前異業種交流会で知り合い意気投合してゴールインすることになったという。
M子の最大の特徴は、知的好奇心に満ちて、知らないことにはどんどん興味を持って聞き、相手の気を逸らさずに楽しい会話ができること。たまたま彼女の住んでいたアパートが、同じ足立区内の私のマンションから歩いて30分ほどの距離だということもあり、最寄りの駅前の居酒屋で夜8時ぐらいからあれこれ話し込んで、気が付いたら午前2時、3時となっていて、慌ててタクシーで帰るということも2、3度あった。
私が秋田に移り住んだ頃には、『秋田美人の謎』という本が幾つも出ていて、シベリアや大陸からの人種混合説や、日照時間が短いこと、海の幸・山の幸が豊富で栄養バランスがいいため、血色の良い明るく元気な子が育つことなど、様々な理由が述べられていたが、どれも決定的な原因解明には至らず、結論は常に「何故か秋田には美人が多い」だった。
私はその謎を自分では解けた、と思っている。その最大の理由は、秋田の女性は男を励まし元気にさせる術を心得ていて、特に夫婦間では「うちのお父ちゃんのやることに間違いはない」「夫にはこんな素晴らしい点がある」と素直にうなずく人が圧倒的に多いことだ。東京では経済不況が続けば続くほど、生活が苦しければ苦しいほど、夫の甲斐性の無さを面と向かってなじったり、子供に「お父さんのようになったら駄目よ」と言う家庭が多いようだが、秋田ではまずそんな風景は考えられない。「私たちがこうして皆元気で明るく楽しく過ごせるのもお父さんのお陰」「お父さんが色んな趣味を持って能力を発揮するのは素晴らしいことだわ」と夫を素直に信頼し、尊敬している妻が非常に多いのだ。
そういう妻たちが常に明るくしていられるからこそ、また家庭も円満になっている訳で、子供達も母親の言葉を素直に受け止めて、「うちの父ちゃんはエラい」と信じて疑わない。だから秋田県内のどの田舎を回ってみても、主婦やおばあちゃんと会うと皆ほぼ例外なくニコニコして、優しく応対してくれる。その笑顔が実に素晴らしいのだ。そこで否応なく「ああ、この人は昔も今も素晴らしい美人だろうな」と思わせる人たちが多いのだ。これは全国でもかなり珍しい、しかも貴重な秋田独特の精神風土ではないか、と私は常々思ってきた。
そう言えば、20年以上前ある週刊誌が全国の県庁所在地で地元の商店街やお店、食堂などで見かける地元の女性、十代から五十代ぐらいまで100人をアトランダムに選んで、それを美人か普通か不美人かと、〇、△、×で表現したことがある。選ぶのは雑誌編集者とカメラマン、デザイナーなどだが、殆どの県では〇の美人が1割程度なのだが、秋田だけは飛びぬけて多く、30数パーセントと高かった。そこでもやはり、「何故か秋田に美人が多い」が結論となっていたが、その美人の根拠としてやはり「笑顔が美しい」というのが決定的に重要な要素になっていた、と記憶している。
そういう秋田美人の特徴をそのままDNAに持ったM子が、これからの結婚生活で、仕事の上でも、また家庭の上でも、笑顔のままで明るく楽しく過ごしていくだろうことは容易に想像できる。
祝宴の締めくくりに、M子の父親が二人の門出を祝して松山千春の『大空と大地の中で』を歌った。音量豊かで、難しい高音部の長いフレーズを楽々と歌いこなしていた。後でM子に聞くと、「宴会にバラエティーを持たせようと父に頼んで歌ってもらった」とのこと。普段畑仕事をしながら好きな曲を口ずさみ、晩酌の後カラオケでのど自慢するのを、奥さんと娘が楽しそうに聞いている風景が目に浮かんだ。その母娘の表情は慈愛に満ちて優しく、愛する人を包み込む慈母観音の笑顔に似て、それこそが秋田美人の謎の秘密だと私は思っている。
(つづく)
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「ロシアとウクライナ戦争」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2023年3月×日
ロシアが突然ウクライナに侵攻し、一方的に戦争を始めてからもう一年以上経つ。この事件はロシアの大国主義的横暴に基づく領土奪還戦争なのだが、ウクライナだけでなく世界中を驚かせた強引な戦争であり、ロシアがいつどういう形で敗北を認め、収拾するかがずっと焦点になっていた。しかし未だにその出口は見えていない。
私は全盲のため日本の新聞、雑誌、テレビなど全く見ていない。ウクライナに関する情報は全てアメリカの24時間ニュース報道番組のNPR(National Public Radio=全米公共ラジオ放送)を毎日数時間聴いて得る情報と、友人達からかかってくる電話や、Zoom会議による研究会で参加者たちと色々意見交換することから得る情報に限られている。このため、以下に記すことは全て私の頭の中に整理したものであり、細かな事実関係、特に数字の類については正確を期すことができないことを予めお断りしておく。 ここで、このウクライナ戦争の動きを私なりに整理すると、次のようになる。
(1)ロシアが突然ウクライナに侵攻した時には、プーチン大統領が「ウクライナ国内でロシア人同胞たちが不当に惨殺されている。その行為はナチスのユダヤ人虐殺に匹敵する非人間的なものであり、我が国はあくまで人道的見地から同胞を救うために止む無く侵攻する」と語った。
これは数百年前からユダヤ人が大量に居住しているウクライナにとっては全く想像もできない非難だった。しかもロシア側が挙げる映像、写真類についても「悪質なデマ」と猛反発した。後に残虐行為の映像写真類は、ロシア軍が民間から雇った傭兵部隊がウクライナ軍に偽装して作成したものであることがほぼ確実になり、ロシアの「人道的救済」が全く事実無根であることが世界中に知れ渡った。その後、ロシア側はこの「人道的見地」に一切言及することを止め、昨年秋ごろからは軍司令部首脳たちが堂々と「我々の目標は不当に占拠された領土を奪還することにある」と変化し、そのまま今日に至っている。
(2)プーチン大統領は侵攻当初、軍最高幹部達の「早ければ三日、遅くても一週間もあれば制圧できる」との見通しをそのまま信じていた節がある。ところが予想もしない反撃を受け、プーチンは第二次大戦でドイツが降伏した5月のVictory Day(戦勝記念日)までに決着すると言明した。それもおぼつかなくなり、それ以後全くいつ決着するのか不明のままプーチンも記者会見などに姿を見せることなく、ひたすらロシア軍が砲弾をウクライナ国内に撃ち込むことを続けた。
(3)一方、ウクライナは開戦と同時にNATO軍、特に米政府に全面支援を懇請し続けた。同政府は今年1月約100人の兵士を米国に送って、オクラホマ州内の基地で戦闘態勢の特別訓練を受けさせ、その特殊部隊が国内に戻って配置についた。また、ドイツにもかなりの数の兵を派遣し特訓を受けさせ、そうした軍事技術を身に着けた兵隊たちが徐々に配置されるにつれ、ウクライナ軍の防衛態勢もかなり充実してきた。これには米国が「米軍を直接派兵することはないが、武器弾薬は積極的に提供する」と言明し、併せてEU加盟の20数か国が最新鋭の戦車をかなり提供した上、今月に入って戦闘機も4機から20機近くまで提供するようになった。アメリカも戦闘機は送れないが、開戦当初から素早くドローン(無人爆撃機)を提供し、2022年暮れには1,100機ほどを搬送した。それがロシア国内のミサイル基地を叩くことによって、ロシア軍内に2~3万人規模の被害が出たと言われている。戦闘機は単独で動いてもほとんど意味がないが、地上との緊密な連絡を取ることで敵の基地を爆撃することが主な任務であり、その態勢がほぼ今年2月ぐらいから整ったとみてよい。
そのため、ロシア側は今年に入ってミサイル攻撃を大幅にエスカレートし、今月には自国のミサイルが34発もウクライナ軍によって撃ち落されたことへの反発から、超音速ミサイル弾を12発撃ち込み、ウクライナ側の被害を増大させている。ウクライナ軍の発表によると、今月ロシア側はウクライナ軍の三倍以上の砲弾を撃ち込んできているという。
(4)国連を舞台にロシアに対する非難が続き、国連総会で141ヵ国がロシアの無差別ミサイル攻撃を「残虐な戦争犯罪」として非難する決議を採択したが、ロシアは一向に動じない。更に今月、ロシアがウクライナの子供達を16,000人以上戦争開始前後から親善旅行と称してロシア側に引き入れ、ロシア国内でロシアの素晴らしさを教え、ウクライナの劣悪さを叩き込む洗脳教育をしていることが明るみに出て、国際司法裁判所がプーチン大統領を名指しで戦争犯罪者として告発するという、極めて例のない厳しい措置を取ったが、それに対してもロシア側は無視している。西側諸国はほぼ一致してロシアの経済封鎖を決め、ロシアとの貿易を中止しているため、ロシアも厳しい経済事情に追い込まれているが、米国内の情報機関によれば、この間中国がロシアに数百機のドローンと砲弾を提供し、その見返りとしてロシアの輸出用石油の23%を中国が受け入れることで、中国がロシアの最大の貿易相手国となり、両国の経済・軍事両面の結束を高めている。習近平が今月モスクワを訪問し、長時間にわたってプーチンと会談した内容は全く明らかにされていないが、そうした経済軍事同盟を強化したことだけは間違いないようだ。
(5)ウクライナは日本の1.6倍の国土に4500万人の国民がいるが、女性子供を中心に約800万人がこの1年間に国外に緊急避難している。国内は相当砲撃によって荒らされ、都市部の公共施設や学校、病院、住宅地域まで破壊され、電気・ガス・水道などのインフラ施設も壊され、食糧難もあって非常に厳しい状況にある。だがそれ故にロシアに屈服する気配は全くない。たとえロシアが領土奪還を宣言したとしても、それで収束するとはとても考えられない。プーチンがヘリコプターで現地を視察して回ったが、その瓦礫の下にはまさにそこに住んでいたロシア人同胞も相当多数死傷しているはずだ。つまり何のための戦争なのかが全く分からないという状況にロシアが追い込まれていることだけは間違いない。因みにアメリカの経済学者の推計によると、この1年間のロシア軍の爆撃により、広大な穀倉地帯と言われたウクライナの農地は相当に被害を受けており、それを1年半以前までの状態に戻すには、どんなに早くても5年から10年はかかる見込みだという。戦争がどういう形で終わるにせよ、ウクライナ国民はその戦禍の後始末と農地の回復、市民生活の回復には相当な時間とエネルギーと経済的負担を強いられることになるだろう。全く心が痛む話ではある。
(つづく)
従心会倶楽部の会員である株式会社全笑(平野仁智代表取締役社長)では、かねてから和歌山県有田川町にある複合施設のリニュアル事業を進めておりましたがこのほど完成し、3月1日に「W.A.S Riverside nature terrace」として開所式が行われ、従心会倶楽部からは、大谷代表と松本理事が出席致しました。
株式会社全笑より開所式の模様を寄稿いただきましたのでご紹介させていただきます。
晴天に恵まれた2023年3月1日、株式会社全笑は和歌山県有田川町清水の W.A.S Riverside nature terraceのリニューアルの開所式を無事に開催する事ができました。
この施設のある有田川町は日本一の山椒の産地ですが、高齢化・人口流出など多くの問題を抱え、町のランドマーク的存在のこの施設も閑散期と繁忙期の差が激しく毎年赤字が続いておりました。
この施設を弊社代表平野が、地域、高野山、バックアップ企業等を結びつけ活気のある施設にたてなおすべく進めてきた事業です。この趣旨にご賛同いただいた高野山関係者、有田川町町長、副町長、行政関係者、企業様等、約70名に出席いただき盛大に開催いたしました。
主な参加者
有田川町町長 中山様、副町長 坂頭様、教育長 片嶋様、高野山真言宗別格本山 普賢院院家 森様、株式会社角濱総本舗 角濱社長、株式会社中本名玉堂 中本社長様、公益財団法人オイスカ顧問中野様、株式会社 従心会倶楽部 大谷社長様、ソルビバ株式会社 竹内社長様、東洋システム開発株式会社 松本社長様、税理士法人be 篠田会長様、金印わさび株式会社 石川社長様、株式会社 美ノ久 取締役部長田口様、生産者側より、JAありだ 代表理事組合長 森田様、JAありだ理事 宮本様、ありだ山椒組合 部会長 平野様、一般社団法人 大和屋 代表 見座様、株式会社 ロゴスコーポレーション 河田様 等。
高野山、バックアップ企業、行政、全笑、地域の方々とでタッグを組み有田川地域が活性化し交流人口が増え、清水町への移住定住が増えるように努めて参ります。また中山間地域の課題は全国的にも共通だと思いますので中山間地域の農業の必要性を説き全国でもモデルケースになるような事業にして参りたいと思いますので今後ともご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。
3月18日より本格稼働
ドームテントでの宿泊は4月中旬から
詳しくはホームページもしくは担当 松原までお問合せ下さい。
0737-25-1288
さくらの花の開花が待ち遠しい季節となりましたが、株式会社従心会倶楽部では、NPO法人ゆい思い出工房と連携して第17回ゆい歴史散歩「武蔵野の自然・さくら、江戸の水瓶(すいびょう)を訪ねる」のテーマで実施することとし、参加者の募集を開始致しましたのでご案内申し上げます。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
1.開催日 | 2023年3月24日(金) |
2.集合場所/時間 | JR中央線 西荻窪駅改札口 10時集合 |
3.参加費 | 4,000円 (入場料、昼食代、コーヒー代等を含む) |
4.参加費振込銀行口座 | 株式会社従心会倶楽部 城南信用金庫 新橋支店 普通 469126 カ)ジュウシンカイクラブ |
5.募集定員 | 20名(先着順) |
6.締切日 | 3月18日(土) |
7.連絡先 | 青木 豊 y.aokicx@s7.dion.ne.jp 090-9304-3212 津久井 均 h.tsukui@jushinkai.com 090-4590-0404 |
NPO法人ゆい思い出工房では、昨年当社も協賛した「第2回ゆいフォトコンテスト」を行い多数の応募がありました。この程、浦安市街づくり活動プラザで審査会が行われ入選作品、優秀作品が選ばれました。
審査会の模様を寄稿いただきましたのでご紹介させていただきます。
NPO法人ゆい思い出工房ではこのほど「第2回絆100公募展Webフォトコンテスト」を実施しました。2018年に開催した第一回目では全国各地から471点(198名)のたくさんの応募をいただきましたが、今回はそれを大きく上回り519点(251名)という応募で大成功を収めました。「素敵な『人と人との絆』そのイメージは?」というテーマのもと、200字以内のコメントを添えての今回のこのコンテストでは、1人ひとり、思い思いに「絆」をイメージした、見る人の心に響く作品が多く寄せられました。
そして去る2月10日、写真家・三輪薫氏、写真家・林義勝氏、弁護士・岩渕正紀氏、株式会社従心会倶楽部 代表取締役・大谷武彦氏による審査のもと、金・銀・銅・優秀賞をはじめ入選100点が選ばれました。