投稿者「Jushinkai」のアーカイブ

株式会社従心会倶楽部事業終了のお知らせ

 平素は、株式会社従心会倶楽部の活動にご支援ご協力を賜り、誠にありがとうございます。

 この度、本年8月末をもって、活動にピリオドを打つことと相成りましたので、ここにお知らせ 申し上げます。

 株式会社従心会俱楽部は、活力あるシニアの経験と叡智を活かし、社会に貢献することをその理念とし、2011年(平成23年)4月に設立いたしました。以来、志を同じくする仲間たちとともに、14年間にわたり積極的に活動をしてまいりました。しかし、関係者の高齢化と健康上の問題や、新型コロナウイルスの後遺症のことなどもあり、会の運営に多くの支障をきたすことにもなり、これ以上の継続は難しいとの判断に至りました。

 従心会俱楽部は、設立以来、建設業を始め各種会社設立等のコンサルティング事業、シニアに重点をおいた講演会の開催、各国の歴史と文化を研究し体験する海外研修会、中堅中小企業の経営幹部の育成を行う「知命塾」の事業、「実践経営塾」の事業、NPO法人ゆい思い出工房との連携、特定非営利活動法人ITコーディネーター協会と連携した「ITコ ーディネーター育成研修」事業、シニアの抱える諸課題に対応する「シニア相談室」による活動等の幅広い活動を行ってまいりました。また、年度初めには「活動方針発表会」を開催し、事業の活性化を図りました。

 特に、会社設立コンサルティングにおいては、数社の会社の立ち上げの指導を行い、現在立派に成長しております。

 講演会では、各界の著名な方々にご登壇いただき、様々なテーマでの有意義なご講演をいただきました。

 海外研修会では、マレーシアのコタキナバルを始め、中国の「孔子•孟子の故郷を訪ねる旅」、インドネシアのバリ島での「バリの自然と文化を訪ねる旅」、オーストラリアでの「オーストラリアの大自然を訪ねる旅」、北欧のフィンランド、スウェーデン、エストニアの「豪華客船で北欧3か国を訪ねる旅」等を行い世界各国の歴史と文化に触れることができました。

 知命塾及び実践経営塾では、中堅中小企業を始め、地方自治体、公益財団法人など約10 団体の経営幹部から一般社員まで各層の研修を行い、人材の育成を図りました。

 シニア相談室では、金融機関及び関係団体とも連携し、相続、生前対策、健康問題などをテーマとした「終活セミナー」を始め、成年後見人制度、各種相談会などを実施致しました。

 京都支部では、例会の開催をはじめ、各種講演会やイベントの開催などを積極的に開催し、地域に密着した活動を行いました。

 これらの様々な活動については、適時ブログやメールマガジンにより情報発信を行い共有を図りました。

 これらの活動にご協力いただきました全ての方々に改めましたお礼を申し上げます。

 従心会俱楽部を通じて様々な人と人の縁が結ばれ、従心会俱楽部の活動が社会の一隅を照らす灯になれたとすれば、それは偏に私達の理念に共感して有形無形のご支援ご協力をく ださった皆様のおかげに他なりません。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 末筆ながら、皆様がこれからも己の心に従って闊達な人生を過ごされますよう祈念申し上げ ます。

 尚、従心会倶楽部の各種事業活動はこれにて停止と致しますが、若し事業活動の熱い思いを受け継いだり、事業の再構築継続を希望される団体には支援を惜しみません。

 最後に、皆様との出会い、ありがとうございました。

 ひたすら 感謝しております。

2024年8月
株式会社従心会俱楽部
代表 大谷 武彦


【今後の連絡先】

大谷 武彦
TEL:090-8740-6530
Email:otani423@nifty.com

御厨 孝二
TEL:090-4540-9299
Email:koji_mikuriya@aa.cyberhome.ne.jp

岸下 正勝
TEL:090-4914-8317

津久井 均
TEL:090-4590-0404
Email:tsukuih@gmail.com

以上


風狂盲人日記 ㉝ 貴志祐介 ―― 娯楽小説の鬼才

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「貴志祐介 ―― 娯楽小説の鬼才 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年7月29日

 視覚障害者となってこの3年強、点字図書館から古今東西の小説、評論類の朗読CDを借りて聴いている。今年に入ってからは、Amazon のオーディオブックでも大量の文芸作品があることが分かった。毎週1~2回外出する以外は、ほとんど毎日自宅で書斎に座ってそれらを交互に12時間以上聴いている。ほぼ1日1冊のペースなので、1年間に軽く250~300冊くらいの読書量(聴取量)となる。若い時から気に入った作品があると、その著者の作品を次々に読んでいくことを習慣にしていて、朗読CDやオーディオブックも面白い作品にぶつかると、すぐにその著者の他の作品を聴く方法を続けている。


作家 貴志祐介氏

 そうした中で、この半年すっかり魅せられたのは貴志祐介(きし・ゆうすけ)だ。1959年生まれというから、私より丁度一回り若い。京都大学経済学部卒で、生命保険会社に数年勤務した後、作家になった。その出世作が『黒い家』(1997)で、京都洛北の藪の中にある黒塗りの一軒家を舞台に、そこに住む中年夫婦が保険金殺人を実行していくというストーリーなのだが、話の展開がおどろおどろしく、巧みな描写でホラー(恐怖)映画さながらで、実に面白い。この作品がホラー小説大賞を受賞したのも十分頷ける。

 次の『天使の囀り』(1998)は新聞社主催のアマゾン調査団が帰国後次々に自殺とも事故死とも不明な不可解な死に方をするミステリーだ。その原因として、調査団の一行が密林に住むウアカリという猿の肉を食べた結果、サルの体内に生きていた長さ数ミリの線虫が人間の脳の中に入り込み、神経を麻痺させるという話で、これも全く架空の生物なのだろうが、その動き方や影響力に不気味な迫力があって、息を詰めながら聴き入るしかなかった。

また、『青の炎』(1999)は母子家庭でアルバイトをしながら優等生である高校2年生の男が、家庭を崩壊させた養父を殺し、それに疑いを持つ不良同級生が恐喝してくるのをまた殺すという小説だが、その詳細な殺人計画も面白いし、頭の良い少年の屈折した心理が見事に描かれていて、結末のつけ方には読者の胸を打つ痛ましさがあった。

 『硝子のハンマー』(2004)は推理小説の定番である密室殺人の謎を解く小説なのだが、その殺人の方法と犯人のアリバイ崩しなどに全く予想外の展開があって、実に面白く、日本推理作家協会賞を受賞したのもうなずける。この作品では「防犯コンサルタント」を自称する中年男と独身の美人弁護士がコンビとなって犯人探しに取り組んでいる。この二人のキャラクターの作り方が極めて魅力的で、この作品を読了したら絶対にこの二人のコンビの連作ができるはずだ、と思った。案の定、このコンビを主人公にした短編、中編の連作もあり、いずれも殺人事件の解明にホームズ、ワトソン・コンビのような取り合わせで、面白く話を展開している。特にこのコンビは、連作が進むごとに二人の会話にコメデイータッチが濃くなり、ユーモアたっぷりに笑わせる作品に発展している。これはテレビか映画でシリーズとして十分続けられるものだなと思った。

 さらに、『新世界より』(2008)は60憶年の地球の歴史を概観しながら、人類の愚かな核戦争によって地球が亡び、その前に月や他の惑星に移住していた人間が地球に戻って新しい歴史を作ろうという、まさにスペースオペラで、その稀有壮大な構想力と綿密な科学的説明で荒唐無稽な話がリアリティーを持って描かれている。これがやはりSF小説大賞を受賞したというのも頷ける。この小説を聴いた時には、『日本アパッチ族』や『復活の日』『日本沈没』と驚異的な作品を作ってくれた小松左京の後を継ぐに足るSF作家の誕生だ、とも思わされた。

 また『ダークゾーン』(2011)はプロの将棋棋士を目指す青年たちの厳しい将棋戦と、同じ主人公たちが全く異空間の閉ざされた土地、それも長崎沖の軍艦島のような廃坑を舞台に二組に分かれて殺し合いを続けるという設定で、その戦いは丁度ビデオゲームで互いの力量を冷静に計算しながら殺し合う方法と酷似している。

 なお、この著者の作品群全体に言える特徴として、スズメバチ、ジョロウグモ、アリなど昆虫の生態が呆れるほど詳細に描かれていることが挙げられる。それが作品に一種異様な不気味さと恐怖感を醸し出す道具立てに効果的に使われている。詳細な事実をマニアックに描いていく力量には脱帽せざるを得ない。そうした魅力を持つ彼の他の作品が早く朗読CD、オーディオブックになってほしいと期待している。

(つづく)

中野利弘様がご逝去されました

故 中野利弘様

当社が創業以来ご指導いただいた、元公益財団法人オイスカ 理事長の中野利弘様が、7月9日ご逝去されました。享年98歳のご生涯でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

葬儀は、7月15日、都内の日本互助会 高井戸ホールにおいて家族葬が行われ、当社より大谷代表、松本理事、津久井が参列致しました。

安岡教学 関係幹部と意見交換

7月3日、東京・信濃町の「明治記念館」において、安岡教学の関係者と面談し、意見交換を行いました。
「安岡教学」とは、日本の東洋学者・思想家である安岡正篤(やすおか・まさひろ)先生によって提唱された、人間の生き方や社会のあり方についての教えです。
今回は、一般社団法人令和人間塾・人間学lab.の竹中栄二理事長、公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館の安岡定子理事長、姫路師友会の田中昭夫会長が出席され、従心会倶楽部からは大谷代表と津久井が出席し、お互いの活動理念や活動内容などについて説明し、意見交換を行いました。

令和人間塾・人間学lab. 竹中栄二理事長
郷学研究所・安岡正篤記念館 安岡定子理事長
姫路師友会 田中昭夫会長

一般社団法人令和人間塾・人間学lab.
代表者:理事長 竹中 栄二氏
所在地:兵庫県姫路市安田4丁目80番地 アビックス駅南大路6階
主な活動:
1.人間学の研究活動
2.人間学を学びたい人たちとの交流活動
3.地域の人たちと行う農林水産業の振興活動
4.人材育成に関する講師の派遣及び講演会活動
5.その他、各事業に関連する事業

公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館
代表者:理事長 安岡定子氏
所在地:埼玉県比企郡嵐山町菅谷671
主な活動:
1.郷学研修所・安岡正篤記念館の運営
2.季刊『郷學』
3.月例講座の開催

姫路師友会
代表者:会長 田中昭夫氏
所在地:兵庫県姫路市飾東町夕陽ケ丘91
主な活動:
安岡正篤先生の思想を学び、実践することを目的とした団体
1.月例講座
2.研修会
3.読書会
4.懇親会など



風狂盲人日記  ㉜ 喜寿

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「 喜寿」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年6月20日

 今日は私の77回目の誕生日である。40代の頃までは、とても60以上まで生きられないと思っていたのだが、実に喜寿を迎えることになった。70代になってから全身にガタが来て、入退院を繰り返すことが続いたが、それも落ち着いたと思われ、元気に毎日を過ごしていることを神仏に感謝しなければならないと思う。

 私の生まれた1947(昭和22)年から戦後ベビーブームが始まり、1949年までの新生児数がそれぞれ270万人近くで、この間の合計出生数が805万7千人。また50年生まれが約240万人だったから、この僅か4年間で日本の人口の軽く1割以上を占めていた。人口ピラミッドで表現すれば、男女とも極端に多い数で底辺を占めており、これを堺屋太一氏が後に「団塊の世代」と名付けたが、実に言いえて妙だった。その大量の団塊世代が成長するに従って、社会もその需要に合わせて様々な変化が起き、国内的には60年代以降の高度経済成長の土台を築くことになった。

 今日団塊の世代が70代後半の「後期高齢者」となる一方、その子供から孫の世代では出生率が急速に減って、2023年には年間の出生者が75万人となり、一方23年の年間の死者数は159万人なので、日本は着実かつ急速に人口減少が進んでいることになる。

 「少子高齢化」は1990年代ごろから指摘されてきたが、政府や自治体の政策としては、これに歯止めをかけることができずに今日に至っている。

 1945年の終戦の頃、日本の総人口は約7200万人だった。政府が敗戦の責任を「一億総懺悔」することで、誰も責任を取らないということで戦後が始まり、300万人もの兵士たちが帰郷し、ベビーブームを呼んだものだが、GHQの占領期は焼け跡闇市時代で、食糧も、住むところも、着るものにも、全て困窮せざるを得ない時代だった。団塊の世代は、その幼少期に厳しい時代を潜り抜けた訳だが、小中学校時代から日本経済が復活し、高度成長期に入る中で深刻な社会不安も起こさずに済んできた。

 終戦まで、団塊の世代の親たちは殆どが5人以上の兄弟を持つほど子沢山だったが、その多くが病気などで死亡し、その結果戦前は平均寿命も50歳を下回っていた。しかし戦後生まれ世代になると、医薬品の開発や医療施設の充実などから、乳幼児の死亡率が急激に減少し、その結果平均寿命も70歳台に伸び、今日では女性が86歳、男性が81歳と、世界でもトップの長寿国となっている。

 私たち団塊の世代も長寿を全うする人たちが圧倒的に多いようで、2023年現在750万人を越えている。それに対し、過去10年ほどに生まれた人は、年間100万人以下ということだから、人口はピラミッドではなくまさにワイングラス型で、若い世代の倍の人数が高齢者になっている。日本の労働力が減少する中で、高齢者の世話を若い世代が負担しなければならないということで大騒ぎしているのだが、この高齢世代もあと10年から20年もすれば殆どが鬼籍に入るので、20年後には高齢化問題は、殆ど社会的には今日のような意味での政策課題とはならなくなってしまうだろう。

 振り返ってみれば、私たち団塊の世代は60年安保騒動が小学校5~6年の時であり、60年代後半の大学紛争を作り出した。一般に、大学進学率が10%を越える社会は大衆社会に入ってきて、大学がエリートでもなくなってくる、と社会学者は指摘しているが、日本の大学進学率が10%を越えたのは62年、私が大学に入学した67年は13%だった。つまり、大学が次々に作られて収容人員が増え、大卒がエリートでも何でもないという原型ができたのが、この60年代初めから70年代にかけてであったし、今日大学進学率が50%を超え、高校3年生が100万人いて、その6割近くが進学するにしても、今、全国の国公私立大学の定員総数が60万人になっていることからすれば、希望者は全員大学に入れるという時代になっている。それだけ大学教育の価値も落ちてきている訳で、学生も大学は社会に出るまでのモラトリアム(執行猶予)期間と心得て、勉学よりも遊び、アルバイトにウエートを置く傾向が長く続いてきた。大学改革の動きは、そういう大学の教育の質を高めようということで動いてはいるが、実態として殆どその効果を示していないのが実情だろう。

 ところで、喜寿を迎えた私たちの世代はこれからどう生きるか。そのポイントは、これまで無事に生きてきたことへの感謝を忘れず、少しでも社会への恩返しということで、地域貢献、社会貢献の活動に出来る範囲で取り組む、ということが一つ挙げられるだろう。私自身は3年前に失明して以来、ほとんど社会的活動ができなくなっているのだが、それでも色んな団体の役員を続けてZoomでの会議で発言したり、電話で色々相談を受けて助言を与えることを続けている。加えて、これまで親しんできた古今東西の本をもう一度読み直す(朗読CDで聴き直す)ことで、若い時にその本を読んだ時の体験を振り返りながら、「よくもここまで生きてきたものだ」と感慨を催している。

(つづく)

特別講演会 青木豊氏の「世界一周ゆい紀行106」を開催致しました

5月31日、都内の「中国飯店 潮夢来」にて従心会倶楽部特別講演会 「青木豊氏の『世界一周ゆい紀行106』」を開催致しました。

従心会倶楽部と連携しているNPO法人ゆい思い出工房の青木豊は、昨年ピースボートで106日間にわたる世界一周の船旅をされました。
そこで、今回、青木豊氏をお招きして、ピースボートによる世界一周で訪れた国々の様子や、ピースボートの中の様子などについて貴重なお話を伺いました。また、ご一緒に行動をされた松嵜恵美子さんと島田富美子さんにもお越しいただき、様々な体験談をお伺い致しました。

講演会終了後、懇親パーティを開催し歓談致しました。

講演をされる青木豊氏
体験談をお話される島田富美子さん
体験談をお話される松嵜恵美子さん

当日配布資料はこちらからダウンロードいただけます。
「世界一周ゆい紀行106」

風狂盲人日記  ㉛ さだまさし:人生の応援歌の語り部

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「 さだまさし:人生の応援歌の語り部」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年5月31日

 この3ヶ月ほど、さだまさしのCDを繰り返し聴いている。北千住の足立区図書館には3万枚のCDがあり、この3年間毎月10枚以上借りて聴いている。歌手で所蔵枚数の最も多いのは日本人で美空ひばり、外国人でエルビス・プレスリーだろうと思って尋ねたら、二人とも35枚ずつで、トップがさだまさしの52枚だった。そのうち8枚はコンサートでの曲の合間に話すトークだけを収録したもの。彼のコンサートは音楽以上にお喋りが有名で、確か1980年頃雑誌『文芸春秋』が彼のコンサートのトークだけを全文収録したものを掲載し、それを読んで爆笑した記憶がある。

 さだは1952年長崎市生まれ。私より5歳若い。1970年代初めにデビューし、その後40年以上にわたって重ねた全国コンサートツアーが4400回にのぼるというから、実に年に100回以上ステージに立っている訳で、これも歌手として驚異的な数字だ。

 戦後生まれのシンガーソングライターのほとんどは、様々な恋愛模様を語ることがほぼ全て、と言ってもいいのだが、さだの場合は恋愛話だけでなく、家族のこと、故郷(ふるさと)のことを歌っているものが相当多いのが大きな特徴だ。恋愛ものにしても、「恋」という言葉が極めて少なく、ほとんどが「愛」となっている。その違いは、ある曲で「求め続けるのが恋、与え続けるのが愛」と定義している。その愛も「君と僕」「俺とおまえ」の間に留まらず、父と母、家族、さらに故郷へと広がっている。

 「ふるさと 母の生まれた町、人を愛した町、人を恨んだ町、人と別れた町」と語る。彼の初期のヒット曲『精霊流し』は、恋人を海の事故で亡くした女性がその霊を慰める行事に弟と加わった物語にしている。これは、戦後中国から引き揚げて長崎市内で喫茶店を開いた「椎の実」のママの一人息子の早すぎる死を悼んだ歌であり、そのママも不治の病で三度の手術をして亡くなったことを『椎の実のママへ』という曲で描いていて、そのママがさだの実の叔母さんであったことを最後に明かしている。

 私が最初に名曲だと思ったのは、『無縁坂』だ。

 「母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を登る度 いつもため息をついた・・・運がいいとか悪いとか 人は時々口にするけど そういうことって確かにあると あなたを見ててそう思う・・・かみしめる様な ささやかな僕の母の人生」

というものだが、この美しいメロディーを聴くと、自分の母親の姿と重ね合わせて思わず目頭が熱くなってしまうのは今でも変わらない。

 さだが社会現象的に話題になったのは『関白宣言』だった。

 「お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがある かなり厳しい話もするが、俺の本音を聞いておけ」で始まり、「俺より先に寝てはいけない 俺より後に起きてもいけない 飯はうまく作れ いつもきれいでいろ できる範囲で構わないから・・・忘れてくれるな 仕事も出来ない男に 家庭を守れるはずなどないってことを・・・子供が育って年を取ったら・・・俺より先に逝ってはいけない・・・俺の手を取り、涙のしずく二つ以上こぼせ お前のおかげでいい人生だったと俺が言うから 必ず言うから」

というもので、男が偉そうに語るのが面白くて笑ったものだが、これが発表当時女性たちから時代遅れの封建的な男上位の考えを示すものと猛反発された。この『宣言』の意味することをまるで理解していない反応に驚き呆れたのだが、さだもしっかりとコンサートの中で『関白失脚』と題して見事に反応している。それは

「お前を嫁にもらったけれど 言うに言われぬことだらけ 俺より先に寝てもいいから 夕飯ぐらい残しておいて・・・・」と実際には妻が「食っちゃ寝」の生活をしていることに皮肉を漏らし、「仕事もできない俺だが、精一杯がんばってんだよ 俺なりにそれなりに・・・ムダなダイエット、ムダな体重計・・・テレフォンショッピング、買い物ぐらい体動かせ・・・今日も君たち(妻子)の笑顔守るために 仕事という名の戦場へ赴く 右に定期券、左に生ごみ 人は私を哀れだと言うけれど 俺には俺の幸せがある」

と語り、コンサート聴衆の爆笑を何度も浴びていた。

 さだの曲の真骨頂はその美しいメロディーラインにある。それは1980年代から20年以上にわたって断続的に製作された倉本聰・作のTVドラマ『北の国から』の主題曲がそうだし、さらに、日露戦争の激戦を描いた映画『二百三高地』の主題曲『防人の歌』によく出ている。特に『防人の歌』では

 「教えてください この世に行きとし生けるものの 全ての命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか」

と問いかけ、更に

「春は死にますか 秋は死にますか 夏が去るように 冬が来るように みんな逝くのですか・・・ 私の大切な 故郷もみんな 逝ってしまいますか」

と続く。戦争の悲惨さを直接一切語ることなく、人間と自然の生死を示すことで優れたメッセージソングになっている。

 また彼の歌詞で頻繁に使われるキーワードは「約束しよう」と「幸せになろう」であり、その先に、人の生き方としてみんなが生きることにも愛することにも不器用であることを強調して、「当たり前に生きよう ささやかでいいから」と歌い上げる。それは生きることに疲れた人への優しい慰めの言葉でもあり、また「頑張れ、頑張れ」と聴衆を巻き込んで大合唱を誘っている。私自身、彼のコンサートを3回観ているが、聴衆の7割は女性。彼の曲が「私」を主語にした場合には、その語り手が男とも女とも取れる両性具有性をよく示して、特に女性たちの共感を得ていることは間違いない。メロディーも伸びやかな高音で歌い続け、淡々と語り続けるのは、人間の一生を優しく見ながら肩を叩いて励ますもので、人生の応援歌を歌う語り部と言えるだろう。

(つづく)

花岡紀夫氏、児玉徹氏と歓談

当社の顧問である花岡紀夫氏、創業以来の主力会員の児玉徹氏と久しぶりに歓談しました。
花岡さんは飛島時代はブルネイ国における海外事業に従事されたほか、その後本社にて秘書室長の大役を長く務められました。退社後は医療介護事業で社会貢献をされるほか従心会俱楽部の顧問として指導に当たられております。
児玉さんは飛島建設海外部門の第一人者であり、東南アジア諸国、香港、ニューヨークなどで活躍され、退職後も国際ビジネスマンしての豊富な経験・人格・見識と技術力により十数か国で活躍されました。又、この7月よりアメリカ合衆国のルイジアナで化学プラント工事の施工管理に従事されます。

左から、児玉 さん、花岡さん、大谷代表

飛島建設株式会社幹部と意見交換

大谷代表、御厨部長の二人はかって在籍していた飛島建設株式会社本社を訪問し 営業本部 国際営業部部長 大澤達雄氏、国際営業部次長 神村茂昭氏、国際管理G課長 大川佳代氏と歓談し、国際事業の現状と今後の方向性について意見交換を行いました。

向かって左より、大澤部長、御厨、大谷、大川課長、神村部長

〔大川佳代さんのコメント〕
大谷さん、御厨さんと昼食をご一緒しました。(「さん」でお呼びすること何卒ご了承ください。)
大谷さんが飛島時代、私が部下としてお世話になったのは、一昔前のことになりますが、今も変わらず気を配っていただきありがとうございます。
私は懐かしい方とお会いするとつい思い出話をしたくなりますが、先日の昼食会で、大谷さんが「懐かしい話はしない」とボソッとおっしゃったのを聞いて、なるほどそうだなと気づきました。
千代田区三番町、川崎のKSP、今の港区港南と、本社の移転とともに会社の組織もだいぶ変わりました。
「昔は良かった」とふと頭をよぎることもありますが、変化を恐れず適応していきたいものです。
大谷さん、御厨さんにおかれましては、過ごしやすい季節となりますが、くれぐれもご自愛ください。
またお会いできる日を楽しみにしております。

飛島建設株式会社
創業:明治16年(1883年)創業140年以上の歴史
代表者:代表取締役社長 乘京正弘
本社所在地:東京都港区港南一丁目8番15号
主要事業:
  1.土木事業
  2.建築事業
  3.施設事業
  4.不動産事業
  5.海外事業、IT事業等

  

一般社団法人令和人間塾、人間学lab主催 第6回定期講演会

4月下旬、兵庫県姫路市において一般社団法人 令和人間塾・人間学lab.主催による定期講演会が開催され、大谷代表が出席致しました。
今回は、姫路大学の平野秀樹特任教授より「『脱炭素』の美名のもと国土が失われている」のテーマで講演が行われました。

講演をされる平野教授

演題:『脱炭素』の美名のもと国土が失われている
講師:平野秀樹氏 姫路大学特任教授

【ご講演骨子】
長引く世界情勢混迷の中、全地球規模でエネルギー問題と環境問題が大きくクローズアップされています。講師の平野秀樹氏は外国人からの日本の国土買収の調査を長年続けてこられました。そして昨年「サイレント国土買収」を上梓されました。知らなかったでは済まされない状況の中、祖国日本を如何にして護るかを共に考えましょう。

会場風景
懇親会風景