5月16日、株式会社従心会倶楽部 顧問でNPO法人 日本カンボジア交流協会 理事長の山田 二三雄先生を都内・湯島の本部を訪問し、今後の事業について意見交換を行いました。
山田先生は、最近フッチーおじさんのなんでも相談室「HOLY MISSION」を立ち上げ、これまでの幅広いご経験を活かした活動を開始されました。

フッチーおじさんのなんでも相談室「HOLY MISSION」

従心会倶楽部の会員である株式会社全笑(平野仁智代表取締役社長)では、かねてから和歌山県有田川町にある複合施設のリニュアル事業を進めておりましたがこのほど完成し、3月1日に「W.A.S Riverside nature terrace」として開所式が行われ、従心会倶楽部からは、大谷代表と松本理事が出席致しました。
株式会社全笑より開所式の模様を寄稿いただきましたのでご紹介させていただきます。
晴天に恵まれた2023年3月1日、株式会社全笑は和歌山県有田川町清水の W.A.S Riverside nature terraceのリニューアルの開所式を無事に開催する事ができました。
この施設のある有田川町は日本一の山椒の産地ですが、高齢化・人口流出など多くの問題を抱え、町のランドマーク的存在のこの施設も閑散期と繁忙期の差が激しく毎年赤字が続いておりました。
この施設を弊社代表平野が、地域、高野山、バックアップ企業等を結びつけ活気のある施設にたてなおすべく進めてきた事業です。この趣旨にご賛同いただいた高野山関係者、有田川町町長、副町長、行政関係者、企業様等、約70名に出席いただき盛大に開催いたしました。
主な参加者
有田川町町長 中山様、副町長 坂頭様、教育長 片嶋様、高野山真言宗別格本山 普賢院院家 森様、株式会社角濱総本舗 角濱社長、株式会社中本名玉堂 中本社長様、公益財団法人オイスカ顧問中野様、株式会社 従心会倶楽部 大谷社長様、ソルビバ株式会社 竹内社長様、東洋システム開発株式会社 松本社長様、税理士法人be 篠田会長様、金印わさび株式会社 石川社長様、株式会社 美ノ久 取締役部長田口様、生産者側より、JAありだ 代表理事組合長 森田様、JAありだ理事 宮本様、ありだ山椒組合 部会長 平野様、一般社団法人 大和屋 代表 見座様、株式会社 ロゴスコーポレーション 河田様 等。
高野山、バックアップ企業、行政、全笑、地域の方々とでタッグを組み有田川地域が活性化し交流人口が増え、清水町への移住定住が増えるように努めて参ります。また中山間地域の課題は全国的にも共通だと思いますので中山間地域の農業の必要性を説き全国でもモデルケースになるような事業にして参りたいと思いますので今後ともご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。
3月18日より本格稼働
ドームテントでの宿泊は4月中旬から
詳しくはホームページもしくは担当 松原までお問合せ下さい。
0737-25-1288
さくらの花の開花が待ち遠しい季節となりましたが、株式会社従心会倶楽部では、NPO法人ゆい思い出工房と連携して第17回ゆい歴史散歩「武蔵野の自然・さくら、江戸の水瓶(すいびょう)を訪ねる」のテーマで実施することとし、参加者の募集を開始致しましたのでご案内申し上げます。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
1.開催日 | 2023年3月24日(金) |
2.集合場所/時間 | JR中央線 西荻窪駅改札口 10時集合 |
3.参加費 | 4,000円 (入場料、昼食代、コーヒー代等を含む) |
4.参加費振込銀行口座 | 株式会社従心会倶楽部 城南信用金庫 新橋支店 普通 469126 カ)ジュウシンカイクラブ |
5.募集定員 | 20名(先着順) |
6.締切日 | 3月18日(土) |
7.連絡先 | 青木 豊 y.aokicx@s7.dion.ne.jp 090-9304-3212 津久井 均 h.tsukui@jushinkai.com 090-4590-0404 |
NPO法人ゆい思い出工房では、昨年当社も協賛した「第2回ゆいフォトコンテスト」を行い多数の応募がありました。この程、浦安市街づくり活動プラザで審査会が行われ入選作品、優秀作品が選ばれました。
審査会の模様を寄稿いただきましたのでご紹介させていただきます。
NPO法人ゆい思い出工房ではこのほど「第2回絆100公募展Webフォトコンテスト」を実施しました。2018年に開催した第一回目では全国各地から471点(198名)のたくさんの応募をいただきましたが、今回はそれを大きく上回り519点(251名)という応募で大成功を収めました。「素敵な『人と人との絆』そのイメージは?」というテーマのもと、200字以内のコメントを添えての今回のこのコンテストでは、1人ひとり、思い思いに「絆」をイメージした、見る人の心に響く作品が多く寄せられました。
そして去る2月10日、写真家・三輪薫氏、写真家・林義勝氏、弁護士・岩渕正紀氏、株式会社従心会倶楽部 代表取締役・大谷武彦氏による審査のもと、金・銀・銅・優秀賞をはじめ入選100点が選ばれました。
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「お正月には箏の音を」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2023年1月×日
お正月には箏の音を聴こう、と思い立って東京都足立区立中央図書館から筝曲のCDを計10枚借りてきた。昔(と言っても私が小中学生から高校時代にかけての昭和30~40年代)の正月には、町の商店街や公民館などの有線放送スピーカーから、必ずと言っていいほど宮城道雄の『春の海』が聞こえてきていた。都会のデパートでも、正月の店内BGMの定番が『春の海』あるいは古曲の『六段』だったと記憶している。
宮城道雄(1894~1956)は8歳の頃から視覚障害となり、10代後半には全盲となったが、幼くして筝曲を学び、10代半ばには生田流の免許皆伝を受け、弟子を指導するほどにもなっていた。『春の海』は1929年(昭和4年)に彼の作った作品だが、フランスのバイオリン奏者が早くに注目し、ヨーロッパに紹介したため、戦前から箏の名曲として世界的に知られるようになっていた。宮城は長短合わせて100曲を越す作品を作曲しただけでなく、13弦の箏では飽き足らず、17弦、さらに20弦以上も備える新しい箏も開発するほど研究熱心で、壮年以降も大変な活躍が期待されていたが、演奏旅行の途中列車のデッキから転落して死亡するという事故で惜しくも62歳という若さで亡くなった。
彼の筝曲は、ゆったりした流れの中で箏の複雑微妙な響きを豊かに感じさせる典雅なものが多く、聴いていて心が和む。もっと長生きしてくれれば、更に素晴らしい曲をたくさん作ったのではないか、と思われるのが誠に残念だ。
借りたCDで驚いたのは「現代の筝曲」シリーズ5枚組だ。戦後も1970年代以降活躍してきた若い筝曲家の演奏を収録したものだが、伝統的な演奏法に基づいた誠にゆったりとのどかな曲から、驚異的なスピードで弦を弾くアップテンポな曲、また曲の起承転結がドラマチックに展開されるような作品など様々で、箏が既にポップミュージックやジャズ、クラシック音楽などとのコラボレーションも可能なところまで来ていることが実に良く分かった。
参考資料として家内がネット検索して教えてくれた筝曲家、沢井一恵(1941~)のインタビュー記事を聞いて驚いたのは、彼女が武満徹や坂本龍一など現代日本を代表する作曲家の曲を演奏したり、五島みどりのバイオリンと組み合わせたコンサート活動を欧米で何度も行った上、ロシア人作曲家が彼女のために作った箏の曲をNHK交響楽団を背景にして演奏し、更に欧米でも様々なオーケストラと共演してきていることだ。彼女は欧米の大学に箏を寄贈すると同時に、弟子たちをその指導係として一緒に派遣し、各地の大学で邦楽講座を設けて筝曲の良さの普及に大きな貢献をしてきている。
私たちはともすれば「国際的に活躍できる人間づくり」「グローバル人材の育成」などを強調しているが、その実態は未だに英語を学ぶことがその必要十分条件と考える風潮に染まっている。だが本当のグローバル人材とは、こうして日本の伝統文化の良さを理解し、それに誇りを持って海外でそれを分かりやすく伝えることができる人間だということを、こうした筝曲家の努力の跡から窺い知ることができるだろう。
それにしても、私自身これまで毎年1月には国立小劇場で開催される邦楽公演を聴きに行っていたのだが、この3年ほどはコロナと失明とが重なってそれも果たせなくなっていた。だが、この正月はそうした「邦楽」の良さをCDで再確認することができ、まさに「こいつは春から縁起がいいわえ」の心境に浸っている。
(つづく)
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2022年12月末日
年末になると樋口一葉の短編『大つごもり』を思い出す。
明治20年頃、貧しい境遇の娘(18歳)が、商家に住み込みで下女として働いているが、年の暮れに伯父夫婦を訪ねたところ、幼い従弟の少年(8歳)を含めて親子3人が青白い顔をしてふさぎ込んでいる。聞けば、「あちこちに借金があって、とても年の瀬を越せそうにない」と言う。最低幾ら必要かと聞くと、2円(今ならザっと4万円)あれば何とか正月を迎えられそうだという。娘は「お給金の前借りをご主人に頼んで何とかするから、大晦日のお昼ごろ取りに来て」と約束する。だが店の奥さんは相手にしない。そこへ従弟がお金を受け取りに来たため切羽詰まって、娘は店の手文庫から1円札を2枚抜き取って、急いで少年に渡して帰らせる。その夜、意外な結末で娘の盗みは露見せずに済んだが、娘も伯父一家も新年には何の光明も見えない――。
一葉の作品の登場人物の殆どは、こうした薄幸の少年少女たち。それを江戸戯作文と漢文混じりのキビキビとした文体で、簡潔に活写している。
代表作『たけくらべ』も、浅草裏の下町に住む少年達が喧嘩ばかりしているのを宥めていた美登利(14歳)が、遊郭に身売りする話が中心となる。更に『にごりえ』では、遊女と客の心中事件が取り上げられている。
一葉は明治5年に生まれて29年に没した。父は甲州の農家の出だが、田畑を売った金で八丁堀同心の株を買い、士族の末端に連なった。これで出世すると期待したのも束の間、明治維新で平民となり全財産を新しい商業組合づくりに注ぎ込んだが、失敗して無一文となった。失意のうちに亡くなり、17歳の一葉が母と幼い妹を抱えて家長となり、やり繰りしなくてはならない立場に立たされた。知り合いの間を駆け回って借金の申し込みをしたが軒並み断られ、僅かに3人が金を出してもいいと言ってくれたが、全て「身体と交換条件だ」「わしの囲い者になれ」ということを持ち出され、真っ青になって逃げ帰ってきた。そうした体験を基に、23歳から25歳までの約2年間に優れた作品10篇を書き綴ったわけだ。それを偶然目にした森鴎外、幸田露伴が激賞して原稿の執筆依頼が少しずつ舞い込むようになった。だが時既に遅し。栄養失調と過労に肺病を患ってほぼ寝たきりとなり、鴎外が医者を手配して診察させたが診断結果は「もはや手遅れ、打つ手なし」とのことで、その数日後には咳き込みながら息を引き取った。葬儀も出す金もないため、位牌に焼香に現れたのは近所の人達11人だけだったという。何とも悲惨な短い人生ではあった。
井上ひさしの戯曲に『頭痛肩こり樋口一葉』がある。生活苦から10代で頭痛肩こりに悩まされた一葉の生活ぶりを描いた優れた作品で、再演を繰り返している。私は異なる配役でその舞台を3回観たが、そのうちCMガールからテレビタレントで人気だった宮崎美子が一葉を演じた時には「ミスキャストではないか」と思った。宮崎が天性のネアカ女性で、テレビでは常に明るく笑顔を振りまいている人で、一葉を演じるには無理があると思ったからだ。そしてその舞台は予想通り、宮崎一葉が常に笑顔を絶やさず母と妹を励まし、近所の人にも明るく振る舞っていて、場面が暗転する瞬間にフッと深刻に悩む表情になるということで通していた。それを観終わって、これは実は非常な適役ではないか、と考え直した。
井上の小説、戯曲は常に「難しいことを易しく、暗い話を明るく、辛いことを楽しく」をモットーにした作品作りをこころがけている。どの作品も読みながら、あるいは観客として舞台を観ながら大いに笑わせ、見終わった後いろいろと考えさせるということで一貫している。
五千円札に載っている一葉の顔を見ると、髪に櫛一つなくまた地味な着物を着て、その目は1~2メートル先を力も入れず見ているが、口はしっかりと真一文字に引き締めて芯の強さを感じさせる。とても20代前半の若い女性ではなく、かなり苦労した中年女性の表情としか思えない。その短い生涯を辿ってみると、将来に明るい展望を持てないまま、明日、明後日の生活をどうしようかと一人で悩みを内に抱え込んで黙っている静かな女性という印象が強い。それは恐らく明治時代の女性に多いタイプなのであろうし、決して彼女が例外的に一人苦しんでいた、ということではないだろう。現に彼女の小説のモデルになった娘たちの殆どは、彼女と全く同じ境遇であり、彼女自身も一歩違えば自分の小説で描いた女性たちと同じ運命を辿ることになったことは間違いないだろうから。
一葉の文机の横には、書きかけの原稿やメモ類が大量に残され、4000首を越える和歌が残されていた。その和歌を辿ることで彼女の心の襞がより詳しく分かるのではないかと思うが、今の私にはそれは調べることもできない。
ただ、彼女の心情を推し量れば、頼みにできる人も居ないまま、たった一人でひたすら自分を励ましつつ、必死の思いで書き続けた健気さが鮮明に浮かび上がる。
私たちの生活を振り返ってみても、一年間に辛いこと、嫌なことは山ほどある。それを井上の描く一葉のように「明るく楽しく笑い飛ばす」ことで苦境を乗り越えるのが、しなやかで、逞しい「生きる術」だろう。新年もそう思って生きていきたい。
(つづく)
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「DSA:分裂するアメリカ」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2022年11月末日
失明して以来、世界の主な動きについてはパソコンで全米公共ラジオ(National Public Radio=NPR)を家内にセットしてもらい、週に2回、数時間ずつ聞いている。24時間放送の報道番組で、毎時5分間の世界の主要ニュースの後、主なものについて現地からの記者の報告や、学者・専門家のインタビューなどで解説を加えるもので、この2年間これが私の主な情報源になっている。
アメリカの主要ニュースとしては、今年初めから①銃乱射事件、②人工中絶問題、③黒人差別、ゲイ・レズビアンなどマイノリティ差別問題が主で、この11月の中間選挙でも、この3点が進行するインフレ対策と並んで重要政策課題として掲げられ論じられてきた。
銃乱射事件は、スーパーや学校、あるいは住宅街、更にナイトクラブなどで、短銃だけでなく機関銃を持ち込んで乱射し、多数の死傷者を無差別に撃ち殺す事例が頻発してきているためで、その種の事件が起きるたびに銃規制問題がクローズアップされるが、その対策として「18歳未満には機関銃は売らない」とか「精神病歴、犯罪・逮捕歴のある者には銃砲器類は売らない」という程度のもので、決して銃そのものを規制しようという動きには一度もならない。それは、合衆国憲法で「政府の圧政に抵抗するため、市民が武装する権利を持つことが民主主義を守る基本原理である」との条文によるからであり、この「銃に守られる民主主義」論は、アメリカの250年の歴史の中で一度たりとも揺らぐことはなく、今日まで続いている。それには民主、共和両党とも全く一致している。この1、2年銃乱射事件が起きる度に銃を買い求める市民が急増し、銃器メーカーの売り上げは対前年比で2~3倍増で大喜びだという。
次いで人工中絶問題は各州で常に政治問題化しているが、宗教的観点から中絶そのものを悪と見なす考えが浸透しているため、優生保護法的な中絶もなかなか認められず、認めるのはせいぜい「15、16歳未満でレイプによる被害者であることが明白であること」などの厳しい条件が付けられている程度であり、これまた政党による違いも余り出ていない。興味深いのは、保守的な州ほど人工中絶に批判的で、基本的に中絶を認めない州が多く、そのため認める州にわざわざ長時間車を飛ばして治療を受けに行くという事例が無数にある。
更に人種差別、性差別問題も、原則的には皆差別反対を唱えているが、実際に田舎、大都市を問わず各地で白人が黒人を襲って死傷させる事件や、性差別を唱えるグループを襲撃する事件が後を絶たず、この解決の見通しも殆ど立っていない。
今月の中間選挙でも、こうしたことが各州の上院議員選挙、州内の選挙でも問題になったが、その際、従来共和党支持の強い「レッド・ステート(赤い州)」と民主党が優勢な「ブルー・ステート(青い州)」の色分けが、今世紀に入って固定的なものでなく、かなり流動化していることが窺え、選挙ごとに「青から赤へ」「赤から青へ」の転換が見られる州が増えてきて、その色合いが複雑になってきている。従来は業種の利害を代表する団体、労働組合、マイノリティが民主党を支持し、保守的な基盤の強い所ほど共和党支持者が多いと言われてきた。しかし今回の中間選挙では、18歳から20代の若者の投票率がかつてなく上がり、それが浮動票としてバラバラになってきた。長く民主党支持だった国民層や移民層が保守化し共和党支持に傾いてくる一方、共和党支持者の間では、トランプ前大統領を熱烈に支持するグループと反トランプ派とが分裂して対立する様相を濃くしている。
そうした点で、アメリカはこれまでUSAの字句通りUNITE(統合する、団結する)を合言葉に多人種、多国籍の者が多様性を生かしながら纏まりを見せることで強さを発揮してきたのだが、21世紀に入ってからは、そのUNITEが崩れてむしろDIVIDEの様相が強くなってきている。つまりDSAという国家形態に変貌しつつあることが、この1、2年極めて濃厚になってきている。それは、アメリカが活力を持って世界をリードする国というよりも、トランプに代表される「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」で「自国さえよければ、他国のことは知らん」という独善的な政治風土がはびこってきていることを物語っていて、決してアメリカの将来を明るく照らしているものではない。
(つづく)
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「Zoom講演に挑戦」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2022年 11月 ×日
9月から10月にかけて土曜日の午後、国際交流団体の依頼に応じてZoomによる一般向け公開市民講演会を実施した。講演は新聞記者時代から殆ど毎月何度かやってきていたが、2年前失明して以来、講演をするのは初めての試みとなった。Zoomによる会議は現在でも毎月3~4回はあって、参加者の意見を聞きながら自由に発言することを続けてきているが、まとまった話を全く原稿も見ずにやることは初めてになるので、最初は躊躇したが、幸いうまくできてホッとしている。
依頼主は国際交流に長く携わってきた国際芸術家センター(IAC)で、戦後長い間世界各国の芸術団体を日本に招いて、公演を支援する一方、日本の郷土芸能、盆踊りなどを分かりやすくアレンジして国内だけでなく海外に舞踊団体を派遣する事業を行っていたが、コロナの影響で全くそうした公演活動ができなくなったため、別な企画としてZoomを利用した市民講座を断続的に開催して、今回それを単発ではなくシリーズ化する形で私に話を持ち込んできた。
テーマは「日本と世界との関係を考える」で、その第一弾を引き受けることにした。
第1回は、時代によって求められる人間類型の違いを論じた。1960年代から90年代まで通して、日本の国際化の時代の中で「国際人」の活躍が期待されてきたが、2000年代はグローバル化の時代と言われる中で、「グローバル人材」の育成が急務だという形で、政府、企業社会の間で求められる人間像に大きな変化があったことを示した。「国際人」は基本的に企業の海外進出を担う人材であり、現地で事業展開する上で地元の市場としての特徴を理解し、それを東京本社に伝えて海外ビジネスをスムーズに行うことが期待されたわけであり、そこでは「国際人」は海外事情に通じて英語でビジネスができるということが求められていた。一方、「グローバル人材」の方は、必ずしも企業の先兵として活躍するという以上に、日本人が一人の地球人あるいは地球市民として、どこの国、どこの地域社会に入っていってもそこで現地の人たちに信用され、信頼される人間として活動するということに力点が置かれており、その意味ではまず自分の専門分野であるビジネスでプロとして優れていることが第一条件であり、次にその人間性そのものが問われることであって、英語力自体はそれほど重要視はされないということが特徴になっている。
第2回は「留学の意味と意義」と題して、明治以降日本が近代化を進めるにあたって留学生が果たした役割というものを改めて考え直すことにした。その具体的な事例として、森鴎(1862‐1922)、夏目漱石(1867-1916)、永井荷風(1879‐1959)の3人の文学者を取り上げて、それぞれの留学体験から私たちが何を参考にすべきかを論じた。この中で、日本の近代化そのものを担う形で最も優れた留学成果を上げたのはドイツに留学した鴎外であり、最も惨めな体験に終始してノイローゼで半強制的に帰国せざるを得なかったのが、イギリスに留学した漱石であり、永井の場合は正確には留学とは言えず、父親(明治国家の高級官僚から大企業の社長を歴任)の資産と人脈を当てにして、ニューヨークに4年、フランスに2年、事実上遊び暮らしたのだが、その中でアメリカでもフランスでも社会の底辺に蠢く(うごめく)人たちの生活実態をつぶさに観察し、また共感を持って付き合う中で、人間を見る目を豊かに養っていったということが言える。こうした留学体験は、今世紀に入って文科省が「英語が使える日本人を育成することが急務である」として「トビタテ、留学JAPAN!」のスローガンを掲げて若者の留学を積極的に支援する政策を打ち出し、全国の高校・大学がほぼ一斉に留学プログラムの充実に取り組んできている現状を見ながら、そうした留学の意義について決してバラ色ではなく、かなり慎重に考えなければならないことを指摘したかったからだ。
第3回は、日本人と外国人の日本に対するイメージギャップが今日でも相当大きいことを指摘した。これは、この20年間全国の大学や高校、あるいは市民団体などで講演した際、日本が大きいと思うか小さいと思うか、という問いを出すと、常に8割以上の参加者が日本は小さいと答え、その理由も「国土が狭いから」という理由を挙げてきている。
ところが領土問題というのは、領海問題なのであって、簡単に言えば排他的経済水域(EEZ)がどれくらいあるかということで言うと、日本は国土の面積こそ190ヵ国以上ある国連加盟国の中で61位だが、領海は小笠原諸島から沖縄諸島周辺までも含めて世界6番目の領海の広さを持っており、日本の領土紛争というのは領海紛争、尖閣諸島、竹島しかりということであり、また経済力は依然としてアメリカ、中国に次いで世界第3位であり、軍事力も9位には入っている。しかも人口が1億2000万人というのは、世界でも今日11位であり、ヨーロッパの大国と言われるドイツの8300万人、イギリスの6800万人、フランスの6500万人と比べても、如何に日本の人口が大きいかがよく分かる。つまりそうした事情だけから考えてみても、日本は世界から見れば大国であることは間違いない。日本人が「日本は小さな国で」と言ったら、この人は自分の国について無知であることを示し、馬鹿にされてしまうだろう。
日本人が外国を理解することは、実はその国と比較して日本の歴史や文化の個性を理解することに他ならないのであって、それが国際理解教育の最も重要な点だと私は考えている。
以上のようなことで、3回のシリーズを各回45分話をし、あと30分Q&Aをしたが、幸い毎回約40人の参加者からは大変に好評で、暖かいメッセージを沢山いただいた。
主催者はこれに気を良くして、新年にもまたこの続きをやろうということを考えており、その際にはまた別なテーマで喜んでやりたいと思っている。目が見えなくても頭の中に入っていることで、自分なりに物事を整理して考える力を訓練する上でも、ボケ防止に役立つと考えている。
(つづく)
従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「悲劇の英雄、平知盛」です。
株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授
勝又 美智雄 先生
2022年9月末日
今月区立図書館から借りて聴いたCDで最も感銘深かったのは、前進座の俳優、嵐圭史の朗読した『平家物語』(全12巻、CD30枚)だった。
前進座は、1931年に、歌舞伎界を支配していた松竹に反発して、中村翫右衛門、河原崎国太郎らを中心に旗揚げした歌舞伎劇団で、武蔵野市に造った劇場を拠点に歌舞伎だけでなく現代劇にも取り組み、女優を登用しているのが特徴。嵐圭史は、翫右衛門の息子中村梅之助(現テレビ俳優、中村梅雀の父)と共に、70年代から90年代にかけて同座の2枚看板だった。
嵐が一躍注目されたのは、「平家物語」に題材を取った木下順二の劇作品『子午線の祀り』で主人公の平知盛(壇ノ浦の合戦の時の平氏の総大将)を演じた時。源氏の総大将源義経には狂言師の野村万作、土壇場で平氏の重臣から源氏に寝返る阿波民部重能を滝沢修、ナレーションは宇野重吉、それに架空の人物「影身の内侍」を名女優山本安英が演じるという舞台で、狂言回し役となった影身の内侍と知盛が二人だけの心の対話をする形で劇が徐々に進行。特に平家方、源氏方、それぞれの武将たちがト書き(説明)部分を一斉に合唱するように語る「群読」の見事さなどは極めて評判の高い名舞台となった。私はその舞台を数年間に3回観た記憶があるが、毎回知盛を演じる嵐の朗々たる発声かつ哀調を帯びた語り口に、滅亡する平氏の運命を真正面から受け止めて、それに立ち向かい、壮絶な戦いをした後、大長刀を振り捨て、船から鎧2着を小脇に抱えて「『見るべき程のことは見つ。今は自害せん』とて・・・海へぞ入りにける」という最後まで、まるで歴史の一大絵巻を見るような心地さえしたものだった。
今回のCDは単行本にすれば軽く1000ページを超す長編を原文通りたった一人で読み下したもので、公家や武将、女官たちを声色巧みに演じ分け、笛や鼓、太鼓、琴などの効果音も全く使わずに淡々と読んでそれぞれの場面をくっきりと脳裏に思い浮かべさせることに成功している。とにかく、文中に夥しく出てくる官位、人名を全く澱みなく、延べ30時間以上にわたって読み上げていく様子もまた壮観であった。
知盛は能や歌舞伎、文楽でも人気演目の一つになっており、亡霊として現れる『船弁慶』では、海上に浮かび出て大長刀を振り回して義経に襲い掛かる様を不気味に、しかも見事な足捌きで演じた歌舞伎の中村富十郎の演技が忘れられない。また、文楽、歌舞伎の『義経千本桜』の中の『碇知盛』では、実は知盛が壇ノ浦で死なずに生きていて、義経一行への復讐を狙っていたという想定で、改めて大物浦の浜で義経一行と戦い、血まみれになって最後、大きな岩の上から巨大な碇の綱を体中に巻き付けて碇と共に海中に仰向けに飛び込んでいく様が、誠に壮絶な悲劇の英雄の死を示した傑作になっており、歌舞伎では三代目市川猿之助(現猿翁)、昨年没した中村吉右衛門、片岡仁左衛門の3人の名演が記憶に強烈に残っている。来月の国立劇場では、義父である吉右衛門から学んだ尾上菊之助が二度目の知盛に挑戦するのが話題になっているが、前回数年前初めて碇知盛を演じた時には、チケットが即日完売でどうにも手に入れられず、尾上菊五郎のマネージャーに頼み込んでも無理だったということで、悔しい思いをしていた。今回はそれを改めて観る機会ができた訳だが、もう2年前から失明したので全く舞台が観られないのが極めて残念だが、家内が代わりに観に行ってくれるので、あとでその様子を聞くことで慰めるしかないと思っている。
(つづく)