風狂盲人日記 ㉘ ビバ!! オキナワ

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。今回のテーマは「ビバ!! オキナワ 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年2月29日

 15日(木)から18日(日)まで沖縄に行ってきた。この20年以上、毎年1~2回は沖縄に旅行するのを慣例としてきたが、コロナの影響と視覚障害が重なって、実に4年ぶりの沖縄旅行となった。暖かい南の島の潮風を肌で感じ、現地の親しい人たちと会ってオリオンビールと泡盛で乾杯し、ミミガー、ジーマミー豆腐、島ラッキョウに海ブドウなどをツマミに話題は尽きない。島唄ライブの居酒屋で三線と太鼓の音を楽しみ、馴染みのカラオケバーにも立ち寄って、美人ママのプロ級の歌唱力で私の好きな「芭蕉布」「童神(わらびかみ)」を聴かせてもらった。

 沖縄には、1982年に本土復帰10周年の模様を取材するために訪れたのが最初だった。太平洋戦争時の米軍による「鉄の嵐」の爆弾で数十万人が死傷し、戦後も72年まで米軍統治下にあった。日本本土を守る犠牲を強いられてきた地だが、そこに住む人たちは明るく、大らかに、したたかに自分たちの生活を守り、独特の歴史と文化をしっかりと守り続けてきている。

 今回は大学の同級生Hと妻に同行してもらうことで、那覇の県庁駅前のホテルに3泊し、毎日タクシーであちこち出かけた。平和祈念公園は20年ぶりくらい。数年前に漏電事故で焼失した首里城の復元工事の現場にも行き、全国から集まった宮大工達が基礎工事している模様を教えてもらった。那覇市内の有名な牧志市場も3年がかりで全面的に建て替えられ、綺麗になったという。その2階で、市場で注文した魚を料理してもらったのに3人で舌鼓を打った。

 私が沖縄に魅せられた理由の一つに、那覇出身の同級生から強く誘われたことがある。沖縄を訪れる度に彼と市内のあちこちの島唄ライブや居酒屋、粗末な食堂を巡り歩き、深夜まで沖縄の生活や米中対決の前線基地としての国際政治問題について語り合った。彼は数年前に病死したが、その息子が県庁職員として活躍しており、沖縄に行く度に親切に歓迎して沖縄の最新事情を詳しく教えてもらっている。

 今回特に印象深かったのは、南城市にある沖縄インターナショナルスクール(OIS)を訪ねて、小学5年生の研究発表を聞いたこと。OISは保育部から高校までで全校生徒約200人。それに欧米・アジアなど10ヵ国以上から集めた教師が40人で、少人数教育に徹している。この学校経営者知念正人さんを7年前に取材した折、教育論ですっかり意気投合し、その国際バカロレア(IB)方式を導入した教育に賛同してきた。IB方式は生徒の知的好奇心を刺激して、自分の好きなテーマで新聞・雑誌からインターネットなど手に入れられる情報を調べ、仲間たちと議論し合いながらまとめていく。授業はすべて英語で行い、その成果を父兄や一般市民に公開するもので、この日は小学5年生の生徒達4組の発表を聞いた。1組20分の持ち時間で、それぞれ自分の体験や身近な見聞を基に、海の生物の生態、自然保護、人種差別、障害者に住み良い街づくりなどをテーマに、流暢な発音で論旨明快に元気良く発表するのに感心した。せっかくの機会なので4組の発表に一つ一つ私なりに英語でコメントをしたが、生徒達の発表の質、内容の高さを、普通の中学・高校レベルのものだと褒めた。生徒達は調べたことを黒板やポスターにまとめ、動画まで作って示していたが、残念ながら私にはそれらは見えない。だが、しっかりとしたプレゼン力はよく分かり、どれだけ準備したかを聞くと、この1週間に20回以上声に出して繰り返し練習したとのことだった。

 日本の公教育では、文科省の細かな学年別学習指導要領に縛られ、小学生が中学・高校レベルのところまで学ぼうとするのを抑えることが事実上普通になっている。その「一律・平等」主義が子供たちの知的好奇心を自由に伸ばすことを抑えているのが実態だ。OISのようにIB方式を導入して子供たちが積極的に先の先まで考えていくことを促す教育が、公教育の弊害を切り崩す突破口になると私は考えていた。実は文科省もこうしたIB教育の導入を認めているのだが、現在では全国でもごく僅かの学校でしか採用されていない。その理由は、教師にそれだけの優れた指導力が必要とされるからだ。OISが今後一段と成果を高め、望ましい教育のモデルケースになることを期待している。発表を聞いた後、地元の主婦に呼び止められた。7年前にOISが主催した琉球新報ホールでの私の特別講演会に親子で参加した聴衆の一人で、私の講演に刺激されて子供が現在秋田県にある国際教養大学に進学して、元気に勉強しているという。その感謝の言葉を聞いて、私の方こそ予想外の嬉しい報告だと感謝した。

(つづく)