マホトハ・ガンデイ-といじめ

従心会倶楽部シニアアドバイザー 南雲 康宏氏からの寄稿を掲載させていただきます。

 

 

南雲 康宏 氏
従心会倶楽部 シニアアドバイザー

 インド独立の父マハトマ・ガンデイ-は「非暴力・不服従」を提唱し、一身をインド独立に捧げた。アメリカの公民権運動の指導者マ-テイン・ル-サ-・キング牧師や南アフリカの反アパルヘイト闘争を率いたネルソン・マンデラ元大統領に強い影響を与えた。
ガンデイ-の主張を「無抵抗主義」という人がいるが、それは誤解であり、あくまで「非暴力・不服従」を貫いたのです。

 日本の社会では、特に学校では “如何なる理由があろうとも暴力は絶対に許されない” とされています。しかし、ガンデイ-はこうも言っています。「ここに暴力と卑怯のどちらかを選ばなければならないとすれば、私は暴力を採るであろう。」意外ではありませんか。暴力を否定したガンデイ-は暴力より卑怯であることを憎んだのです。非暴力は無抵抗とは違うのです。
日本でも江戸時代の侍は卑怯・怯懦を憎み嫌いました。ひとたび「卑怯者!」と罵られたら刀にかけても即ち命に代えても名誉を守らなければならなかったのです。
私の明治生まれの亡父は、「弱い者いじめは卑怯者のすることだ。」と強い口調で非難がましく言っていました。今では “卑怯者” という言葉は日常会話からは消えてなくなりました。

 いま学校では “いじめ” による生徒の自殺が深刻な問題になっています。
事件が起きるとマスメデイアを前に校長が沈痛な面持ちで「起きてはならないことが起こってしまった。生徒には命の大切さを教えて行きたい」などと本質を外れたコメントを述べています。
いじめっ子に抵抗しようとしても “いかなる暴力” も禁じられているわけですから、被害者である生徒には逃げ場がないのです。そして悲劇が・・。
弱い者いじめは卑怯である。卑怯は悪であり、恥ずべきことである。こういった価値観が生徒、父母、教師、教育委員会などの共通認識になれば、命の大切さを教えなくてもいじめは少なくなるのではないでしょうか。