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社会福祉法人恵の園を訪問しました

5月17日、群馬県渋川市に本部がある社会福祉法人恵の園を訪問致しました。

恵の園は、榛名山の山麓に本部があり、15,000坪の広大な土地に「障害者支援施設」「障害福祉施設サービス事業所」「特別養護老人ホーム」など30を超える施設がありますが、当日は、同法人の創始者である山田二三雄氏のご案内で「福祉資料室」「特別養護老人ホーム カナン」などを見学し、今後の連携について意見交換を行いました。

今後の連携について打合せ。中央が創始者の山田二三雄氏
「福祉資料室」にて
特別養護老人ホーム カナンにて

福祉資料室にて

風狂盲人日記④ モーツアルトはピアノの天才だ!

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「モーツアルトはピアノの天才だ!」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄

2022年 5月 ×日

 昨年末親しい人たちに宛てた近況報告文に「新年はモーツァルト、ベートーヴェンのCD全集を全部聞き比べるつもり」と書き送った。すると、新年早々秋田に住む教え子が「亡くなった父の遺品です。良かったら聴いてください」とドイツ製のモーツァルト全集CD約60枚を送ってきてくれた。急いでお礼の電話をすると「父はずっと “モーツァルト・オタク” で、家にはLPレコード、CDが大量にあって、どう処分するか実は困っていました」とのこと。私にとっては、生まれて初めての豪華なお年玉となった。
 早速、1月から4月まで毎週4回、数枚ずつ次々に聴き、漸く全て聴き終わり、気に入ったものは2回、3回と聴き直してきた。
 そこで改めて驚いたのは、全集の約半分がピアノ曲であること。その曲調といい、技巧を凝らした演奏法といい極めて独特なもので、「モーツァルトはピアノの天才だ」と感じ入った。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756‐91)は西洋音楽史上、教会ミサを中心としたバロック音楽からベートーヴェン以下の古典派、ロマン派に繋がる本格的なクラシック音楽の花開く間の繋ぎ役に位置している。家内に確認してもらったところ、ピアノは1700年代の初めに登場したようで、その後改良を重ねてモーツァルトの時代に一気に楽器の王様として君臨するようになった。モーツァルトはその王様(バイオリンは女王あるいは王女と考えられる)の魅力を極限にまで押し広げる役割を果たしたのではないか。

 彼のピアノ曲の最大の特徴は、鍵盤の左端から右端まで(当時はまだ5オクターヴであったが)を縦横に上り下りし、同時に指を絶え間なく小刻みに動かして、コロコロコロ、トットットットットンとピアノの持つ様々な音色を見事に生かしていることだと思う。主題(テーマ)はどんどん変化していき、突如別な主題が現れ曲調が変わったと思っていたら、さらに第三の主題が登場するという形で、曲全体の流れがつかみにくい。しかも終わりがかなり唐突で、突然パタンと尻切れトンボのように終えてしまうことが多い。その様子はまるで、公園に遊ぶ幼児がいきなり歓声を上げて走り出し、急に立ち止まって蟻の行列を見たり、草花が風に揺れるのをポカンと見つめ、さらに木漏れ日を仰いで眩しそうにしていたかと思うと、全く別方向に嬌声を上げて駆け出すというような、どこにどう行くか分からない、そういう趣が非常に強い。そういうところがとても面白いし、また彼の曲の魅力にもなっていると思う。ベートーヴェン以下のピアノ曲が起承転結を明確にし、曲全体の流れに統一感があるのとは対照的だ。

 モーツァルトといえば、中学校時代の音楽室の壁の肖像画を思い出す。バッハ、ヘンデル、ハイドンに次いでモーツァルト、次にベートーヴェンからチャイコフスキーまでがいるのだが、他の作曲家達の肖像画が全て成熟した大人の顔をしているのに対し、モーツァルトだけ15、6歳かと思われる少年で、髪はオールバックで小柄な顔に目を大きく見開いて、両口元を大きく頬に上げて笑っている。その最大の特徴は、アンバランスな大きな鼻だった。これは恐らく少年モーツァルトにとってもコンプレックスだったのではないか。彼は5歳の頃から「神童」ともてはやされて、宮廷内を自由に走り回っていたが、最大の遊びは居並ぶ貴婦人の大きなスカートの中に潜り込むかくれんぼであり、その時も、また作曲する時も常に「ケケケ、キャハハ」と笑い声を立てながら剽軽な道化者を演じていたことだろう。

 現代アメリカの劇作家P・シェーファーの『アマデウス』は宮廷楽団長のサリエリと若者モーツァルトとの対照を描いた傑作だが、サリエリが「天才と誉れ高いモーツァルトを凹ましてやろう」と自分の最新作の楽譜をさり気なく示して、「これぐらい書けなければ作曲家とは言えない」と自慢げに言ったのだが、モーツァルトはそれを一瞥するとすぐにピアノに向かって暗譜で全曲を弾き、「とても良くできているけれど、こうすればもっと面白くなるんではないの?」と言って随所に装飾音を加え、主題をどんどん変奏する形で変えていき、曲調全体をより華やかなものに変えてしまった。その驚嘆すべき力量に絶句したサリエリをしり目に「じゃ、ボクは遊んでくるから」と言って軽くステップを踏みながら部屋を出ていく。サリエリは「神はあんな小僧にここまで音楽の才能を与えたのか」と悔しがるシーンがある。この劇は映画も非常に良かったが、日本での上演はサリエリを松本幸四郎(現白)が好演し、その後再演を繰り返し、彼の当たり役となっている。
 モーツァルトが35歳で亡くなった時、弔問に訪れた人たちが「ご主人は歴史に残る偉大な作曲家でした」と口々に誉めそやしたが、幼な妻のコンスタンティンは少し頭が弱かったようで「あのお下劣な冗談ばかり言っている道化者が?!」となかなか信じなかったという。

 盲人になって散歩で公園のベンチで休んでいる時など、子どもたちの歓声を聞くと、よく学生時代に覚えた “I Believe” が脳裏をかすめる。
「私は信じている。真っ暗な夜でもローソクの光が輝き、嵐の時も天上のどこかで誰かが私の小さな祈りのつぶやきを一言逃さず聞いていてくれることを。赤子の泣き声を聞いたり、木の葉に触ったり、木漏れ日を仰いだりする時、私はそういう誰かがいることを確信している」
 CDを送ってくれた教え子は、十代の頃母子家庭となって相当な苦労をしたらしい。卒業の時、親子で私の部屋を訪ねてきて「娘がこんなに明るく元気になったのはこの大学のおかげです」「私が何とか卒業できたのは先生のおかげ」と二人から深々と頭を下げられ、私は胸が熱くなった。彼女はハワイで2年働いた後、故郷に戻って母親の経営する英会話教室を手伝っている。正月の電話で、彼女は「先生、目が見えなくても大丈夫。是非また秋田に頻繁に来てください。私が空港なり新幹線の駅に迎えに行って、先生の行きたい所、会いたい人に付きっきりで杖代わりになって案内しますから」と言ってくれた。お世辞の言えない子なので、額面通りに受け止めて感謝した。本当に心根の優しい子だ。
 父親はきっと娘が「神に愛される者」として元気に活躍することを願っていたに違いない。その娘が今後故郷で生活の幅を広げていくのか、それとも再び海外に出て仕事を得るのか、それは「神のみぞ知る」だ。そして私もまた、彼女がこれからどこで何をしようと、「神の加護」を得て快活に生きていくことを願っている。見えない目で空を仰ぎながら、小さなつぶやきをどこかの誰かが聞いてくれていると信じながら。
(つづく)

P.S. この日記はだんだん、参考資料に当たる間もないまま独断で書くことが多くなると思います。読者の皆さんの自由な感想、ご意見をお聞かせください。できるだけそれに誠実に応えたいと思っています。このニュースレターがシニア世代の自由な意見を言い合うサロンとなることを願っています。

風狂盲人日記③ 団琢磨の孫娘

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「団琢磨の孫娘」です。

2022年4月△日

株式会社従心会倶楽部 顧問
國際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

 先日、六本木の国際文化会館で、日本語教育のパイオニア的存在だった国際日本語普及協会(AJALT)の理事長、西尾珪子さんの「偲ぶ会」が催された。西尾さんは昨年夏、入っていた老人ホームで家族に看取られ息を引き取った。1932年生まれで享年89歳。戦前の三井財閥の総帥だった団琢磨の孫娘で、1970年代から半世紀以上にわたって独自に日本語教育法を開発し、たくさんの日本語教師を育て、日本に在住する外国大使館の外交官たちや外資系企業の経営幹部たちに日本語を個人授業で教えることを中心に、目ざましい成果を挙げてきていた。

 「偲ぶ会」ではコロナの影響のため入場者を制限し、外部者、内部者別に二部にわたって、計約200人が参列、慰霊に献花した。挨拶を依頼された私は、他のゲストが西尾さんの輝かしい業績について詳しく話すだろうと想定し、約5分間、西尾さんの美しい日本語表現がどこから来ているのか、その家庭環境を紹介した。祖父の団琢磨は西尾さんの生まれる五ヶ月前に右翼の宗教団体、血盟団の一員に拳銃で心臓を撃たれて即死したため、西尾さんは祖父の顔は知らない。

 父伊能氏は当時西洋美術史を専門にする東大助教授で、流麗な文章の著書2冊を著わしており、将来を嘱望されていた。母は長崎の格式高い高級旅館、上野屋の五女の美智子。幼い時から邦楽に親しみ、和歌を嗜んでいた。そして兄は伊玖磨氏で、戦後日本を代表する作曲家となった。その兄から珪子さんは小学高学年の頃からクラシック・レコードを聴きながら楽譜を読むことを教わり、70代になっても「楽譜を見ればメロディーが頭の中に浮かんでくる」が自慢で、これも兄のお陰と語っていた。珪子さんの4歳年上の姉、朗子(さえこ)さんが珪子さんの日本語の指南役。小学高学年の頃から姉妹で共に新聞の連載小説を愛読しており、特に吉川英治の『宮本武蔵』が大好きだったが、週に1~2回は朗子さんが「珪子、今日の文章はとてもいいから全部覚えなさい」と言って丸暗記することを要求し、姉の言うことには絶対服従の珪子さんがそれに従って必死で覚えると、数時間後に朗子さんが「テストするから言ってごらん」と腕組みをして促す。妹が途中で言いよどんだり、2、3行飛ばしたりすると、すかさず姉が「それでは文章が繋がりにくいでしょ。そこにはこれこれの文章があるはずよ」と言う。妹に命じた後、自分もそっくり暗記していたわけで、姉・妹ともに大変な記憶力の持ち主であり、また日本語の文章の良さ、繊細な表現の面白さを自ずと身に着けるような特訓になった。

 さらに、夕食後の団欒のひととき、テレビも無ければラジオもかけず、ひとしきり雑談した後、母が「では、今夜も漢字ゲームをやりましょう」と言って、全員に白い紙と鉛筆を渡し、「 禾(のぎへん)の漢字を2分間で何字書けるか、よーい始め」と言って、ストップウオッチで時間を計りながら書き始める。一番たくさん書いた人が優勝となるが、他の人が書かない漢字を書いた場合ボーナス点が加点され、嘘字を書いた場合には逆に減点になる。これを、「次は阝(こざとへん)、次は下に心が付く漢字」などと言って、幾つかゲームを続ける。これでトップは常に朗子さん。母と珪子さんが二番手争いで、兄は妹二人に勝たせようと余裕を持っていたせいか、ゆっくりと焦らずに字を書き、父もしきりに首を捻っては書いていく。その父が毎回のように尤もらしい漢字を書くので、その度に娘二人が「そんな字はない」と手元の漢和辞典でチェックする。父は「そうかな。あると思ったけどな」と首をひねるのだが、どうやら場を和ませ、家族全員を楽しませ笑わせようと意図的にありそうでなさそうな漢字をひねり出すことに腐心していたようだ。

 こうした日本語の訓練を幼い時から浴びていた珪子さんが、学習院大3年の時に1年間で書き上げた卒論は『道行の研究』。万葉集から新古今和歌集、連歌を経て、江戸時代の近松門左衛門の心中物に至るまで、義理と人情の板挟みで心中せざるを得なくなった男女の哀切感漂う思いを切々とした文章でつづる道行の系譜を辿った力作で、指導教官からも激賞された。3年生の時に1年間で資料を調べ書き上げたというその卒論を借りて読んでみたところ、400字詰め原稿用紙約200枚を綴じていて、最初から最後までマス目にきっちり楷書で綺麗な字体で書いていて、ほとんど乱れがない。今読んでみても、大学院レベルの論文に相当するような質の高いものだった。

 こうした日本語の豊かな蓄積があってこそ、日本文化の支えとなる日本語表現の美しさを人一倍強く意識し、それを外国人にも広く知ってもらおうとしてAJALTを設立したということが実に良く分かるのだ。

 西尾さんの講演やシンポジウムなどに同席してその発言を何度も聞いているが、常に起承転結が明確で、論旨明快、歯切れがよく、しかも当意即妙の冗談も加えながら聴衆を引っ張り込んでいく力は大変なもので、大体制限時間いっぱいに終える巧みさもなかなか余人には真似ができない芸当と言えた。そうした日本語を駆使する力があるからこそ、その伝統を受け継いだAJALTが、文化庁や各国の外交官、大企業の外国人・日本人を問わず「こんなに美しい日本語を駆使するAJALTの人たちなら、安心して仕事を任せられる」と信頼され、今日の隆盛を築いたと言えると私は確信しているし、西尾さんの創った伝統を引き継いでいく限り、AJALTはこれからも大きく発展していくことだろうと信じている。

 ―― ということを大体述べたのだが、後で何人もの人が「とてもいい話で良かった」と喜んでくれたのは、私自身とても嬉しかった。(つづく)

実践経営塾 講師研修会を開催

4月11日、都内で実践経営塾の講師研修会を行い講師陣が出席しました。
実践経営塾の講師の打合せは通常オンライン形式で行っておりますが、今回は久しぶりにリアルで行いました。

研修会では、福本伸夫講師より「新入社員研修」のコンテンツの紹介を行った他、今後の活動計画について意見交換を行いました。

風狂盲人日記② 日本文学を聴く

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回は第2回目「日本文学を聴く」を掲載させていただきます。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2022年 4月 X日

  昨年3月、眼科医の診断書を持って区役所に視覚障害者認定の申請をした。1ヶ 月後に障害度2の認定を受けた。障害度1は全盲、障害度2はそれに続く状態で、 わずかに数メートル先まで視界はあり、足元の1メートル先ぐらいを見ながら杖を頼りに 歩くこともできる状態ではあった。
 それで最初に行ったのが高田馬場駅近くにある日本点字図書館。ここでどんなサ ービスを受けられるか相談したところ、パソコンを打つことを覚える講座があるとのこと で、私も週1回それに参加してみることにした。全盲の講師と1対1で、まさにブライ ンドタッチを覚える方式なのだが、5回通って色々考えた結果、パソコンを打っても書 いた文章が読めないし、それをメールなどの形で送ることもできない状態だということで 行き詰まり、結局講習を受けることはやめてしまった。
 代わって素晴らしいサービスだと思ったのは、古今東西の文芸作品の朗読CDを 相当整備していることが分かったことだ。全国の公立図書館と連絡し合って、同じ作品 をダブって録音しないよう調整しており、その数も数千本にのぼっているという。
 普通のCDはせいぜい1時間半ぐらいの収録時間だが、この朗読CDは1枚に 最長で50時間以上録音することが可能なので、長編作品も収録できていることが分 かった。その再生装置は地元の公立図書館から3ヶ月単位で借りて、自宅でそれに かけて聴くというやり方で、小説•評論など大概の文芸作品が、目で読むことはできな いけれども聴くことができることがわかった。
 そこで最初に聴き始めたのが、『平家物語』(角川書店上•下)であり、続けて平家 物語に関する他の作品、例えば井上靖の『後白河院』、女流作家たちの『建礼門院』 『右京太夫』『静御前』『巴御前』『北条政子』などを次々に聞き、平家物語の世界をた っぷり楽しむことができた。そこで痛感したのは、『平家物語』が、盲目の法師たちが琵 琶を奏でながら辻で語ったように仏教の説話文学の色合いが濃く、全てが「生者必滅」 の無常観で彩られていることだ。歌舞伎や文楽で馴染み深い俊寛、熊谷直実などの 宿命が簡潔に描かれている反面、全編通して平清盛の出番はほとんど無ぐその長男 重盛が非常に聡明な武将で、若くして病死しなければ父清盛を諫めて平家の命運を 長く保ったであろうということだった。

 その後日本文学を時系列でもう一度確認しようと思い、慈円『愚管抄』、次に『古今 著聞集』『沙石集』、更に鴨長明『方丈記』、吉田兼好『徒然草』、上田秋成『雨月物語』『春雨物語』、式亭三馬『浮世床」』、為永春水『春色梅児誉美』などを聞いた。『淳世床』の江戸っ子たちの会話は、そのまま古今亭志ん生の落語の世界であり、『春色梅児誉美』は明治以降、泉鏡花の『婦系図』『日本橋』などの新派劇、および私生活を 詳しく描いた自然主義文学に直結じcいることがよく窺えた。
 特に感銘深かったのが、私が学生時代から愛読していた丸山眞男『現代政治の思 想と行動』(未来社)、『文明論之概略を読む』(岩波新書 上・中・下)であり、さらに加藤周一『日本文学史序説』(筑摩書房上・下)などだ。
 こうした本のほとんど全ては昔一度は読んでおり、今でも私の書斎の本棚にあるのだが、それが全く読むことができないので、特に急いで読みたいと思ったものを、順次やや系統的に読む(聴く)ことにしたものだ。

 4月に入って念願の『太平記』(山崎正和訳上・下)を今聞いているところだが、南北朝の争乱時代の後醍醐天皇をはじめとする公卿たち及び武士たちの心理状態、そ の葛藤が豊富なエピソードで語られており、実に興味が尽きない。この作品は後醒醐天皇を主役に、まず新田義貞が鎌倉の北條氏を滅ぼし、続いて足利尊氏が新田と主導権争いをし、足利が新田を滅ぼすに至る目まぐるしい過程を描いたものだが、本全 体の2〜3割は、中国の春秋戦国時代から唐の玄宗皇帝時代の安祿山の乱に至るま で、豊富な故事を引用しながら、武将たちが中国の英雄になぞらえて戦いに立ち上が り、死んでいく姿をドキュメンタリー映画のように描いていて、人が生きる上で何かを決 断する時には必ず古人の生き方に学び、それを見習う形で生き抜くものだということを 実に良く感じさせる。それにしても、日本中を大騒乱に巻き込んだ約30年に及ぶ絶え 間ない合戦を、『太平記』と名付けたのは一体どういう心理なのか、ゆっくり考えてみた いと思う。
 更に意外なことは、鴨長明が源平合戦の最中に青年時代を送り、吉田兼好が南北朝の騒乱を間近に目撃していたにもかかわらず、二人ともそれぞれのエッセイではそう した政治ドラマ、戦争について一言も触れていないことだ。長明は40歳の時にわざわ ざ鎌倉まで出向いて三代将軍、実朝に面会し、歌の指南役をする就職活動を行った が、実朝は長明のライバル藤原定家を師とすることを決めていたため断った。そのた め、長明は京に戻り、四畳半の庵を編んで『方丈記』を書いたのだった。
 一方兼好も歌道の名人で、足利家の重臣、高師直に頼まれて出雲出身の塩冶判官の妻への付文(和歌、ラブレター)を代筆するほど公卿、武家両方の上層部に親しく 交わっていた。これが「仮名手本忠臣蔵」のモデルにされるほどだった。
 人を評価するのに、書いたものからだけでは一面的にしか理解できない。書かなか ったことの理由を状況証拠などから調べ直すことによって、その人物の全体像が浮かび上る、というのが伝記を書く上での鉄則であり、それは古人も現代人も変わりがない。

 『太平記』は今1回目を聴き終わり、2回目を聴き始めたところだが、これまでCD でいいと思ったものは全て2回、3回と聴き直しており、それによって、読むことでは素 通りして気がつかないことに幾つも気づかされることがあって、これはこれで面白いこと だと考えている。
 人は情報を得るのに目が8割、耳が1割、その他皮膚感覚などが1割だと言われ ている。その8割の情報源を失った時、結局まず頼みは耳であり、耳から聴く1割の 情報を、一度では気づかないまま流してしまうものを、2回、3回と聴き直すことによって 想像力を膨らませ、その描かれているものをより深く知る、ということで理解を深めること ができるのだということを最近しみじみと感じ始めている。
—人で自由に外出できないので、民間の同行援護サービス団体の人に来てもらい、 病院にも公立図書館にも或いは近くの買い物も同行してもらっているが、行動範囲も 非常に狭まってきているものの、CDを聞いてその耳から得る情報で世界を広げると いうことを、この一年少しずつ学び始めているところだ。なお、この連載のタイトルは、石川淳の現代怪奇小説『狂風記』、谷崎潤一郎の晚年の作で、蠱惑的な嫁に翻弄さ れる病床記『瘋癲老人日記』からヒントを得た。両作品とも、昨年夏朗読CDで聴いて 非常に面白ぐ強く印象に残った。
(つづく)

オキサス 幹部が来社されました

3月28日、オキサスの沖山勝巳代表取締役と沖山智紀氏が来社され意見交換を行いました。
沖山智紀氏は、沖山社長のご長男で、沖縄に在住され映像クリエイターとしてご活躍されておられます。

左から一人目が沖山智紀氏、三人目が沖山勝巳社長

風狂盲人日記①(勝又 美智雄先生の近況)

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授


 勝又 美智雄 先生

 従心会の会員の皆様、しばらくご無沙汰しておりますがご機嫌いかがでしょうか。
 私は昨年春、緑内障の悪化で失明し、現在同行者の援護がなければ、病院通いや買い物、散歩など自由に出かけられない状態となっています。
 そうした事情を昨年暮れ大谷会長らに手紙でお伝えしたところ、従心会の月報にいつでも掲載するから、自由に思うことを書いて送って欲しい、とのありがたい提案をいただきました。それで、これから暫く「盲人日記」という形で不規則な連載をさせて頂こうというふうに考えております。同じシニア世代の皆様の何かの参考になれば幸いです。

私の緑内障は30年来患ってきている糖尿病の余病ではありますが、これまで10年以上血糖値のコントロールも良く、緑内障は初期症状のまま、これ以上悪化し失明する心配はまずないだろう、とかかりつけの眼科医にも言われておりました。
ところが2020年暮れに右目が突然見えなくなり、その3ヶ月後の21年3月には左目もほとんど失明するという状況に陥り、視覚障害者認定を受けたところです。
 専門医によると、緑内障の悪化のバロメーターは眼圧であり、正常値が20以下なのに対し、23~29が黄色信号、30以上が3ヶ月続くと確実に100%失明するとのことです。私の場合、20年12月から21年春までの間に眼圧が30~60もあり、かかりつけの医者が慌てて東大病院に紹介状を書き、眼圧を強制的に下げるレーザー手術を2回にわたって受けました。

 後で分かったことですが、緑内障の直接の原因は脳内に血液を送り込む頸動脈2本に異常があり、1本は途中でちぎれそうになっており、もう1本は細く伸びたまま動脈としての機能をほとんど失っているということが判明しました。その結果、脳内の血液(酸素)が急速に減少し内側から視神経を破壊してしまったということが直接の原因とみられています。

 脳内の血の巡りが悪くなると物忘れや勘違いがひどくなり、その症状が72歳ぐらいから出始め、家内は認知症が始まったのではないかと心配していましたが、医者の勧めで脳および循環器全体の精密検査をした結果、頸動脈の異常が2020年暮れに発見されたものです。脳外科医に「このまま放置しておくと早ければ半年、遅くとも4、5年以内には大きな脳梗塞あるいは脳内出血を起こして半身不随で寝たきりになるか、場合によっては死に至る危険性が極めて高い」と警告され、急いで頸動脈を広げるためのステント留置手術を受けることにしました。しかし異常の部位が手術しにくい場所にあたっていたため、検査入院を繰り返した後、昨年6、7、8の3ヶ月間に3回入院して、少しずつ手術していくという方式で行われました。手術は完全に成功。術後の経過も今日まで極めて順調で、担当した脳外科医も「これならあと10年は脳出血、脳梗塞の心配はないだろう」と保証してくれました。
 ところがその間、脳内の血の巡りが悪くなった期間(おそらく2020年から2021年にかけて)に視神経を壊されてしまった というのが、緑内障を急速に悪化させた直接の原因だということが後で分かりました。

 それまで50年以上にわたって本や文章を読み、書くという仕事を行ってきたわけですが、肝心の目が失われた結果、今では耳だけ(それも左耳は10年来難聴でほとんど聞こえず、右耳のみ)が頼りというふうになり、そのため自分の生活もあらゆる点で変更せざるを得なくなりました。つまり書斎に大量にある本は、ほとんど見えないので無用の長物ということになるため、とりあえず段ボールにどんどん詰め、空いたスペースは手持ちの CD数百枚をジャンル別に並べて、それを次々に聞いていく、ということが主な日課に変わってしまいました。そういう変化で非常に落胆もしましたが、色んな発見もあり、それを次回以降思いつくままに紹介して皆さんの参考にしていただければいいのではないかと考えています。

 私の脳内の異常がわかったのは72歳から74歳にかけてですが、同じシニア世代の会員の皆様にも物忘れや勘違いがひどくなってきた場合、ぜひ一度脳の精密検査を受け、それが脳内の異常から来るものでないかどうかを事前にチェックすることが極めて重要だろうと思います。私自身、もし発見があと丸1年以上早ければ手術を無事に終え、脳内から視神経を破壊されることもなく、今日でも読書や執筆ができたはずです。ところが以上記したように、脳梗塞という重大な危機は回避できたものの、一番敏感な視神経がまず侵されてしまうという事に気づかないまま今日に至った訳で、皆さんも是非そういう可能性もあることを考えて、メディカルチェックを慎重になさるのが良いのではないかという風に思います。以下、次号に続きます。

第14回ゆい歴史散歩:新旧オリンピック会場と神宮の森を散歩

原宿駅から昭和のオリンピック競技場、代々木公園、明治神宮の森を散歩し、新オリンピック千駄ヶ谷競技場まで歩きます。
広大な森を森林浴をしながら新旧オリンピックの会場を散策致します。

■実施要領

開催日 2021年11月30日(火)
集合場所 JR原宿駅 明治神宮口改札 午前10時集合
参加費 3,000円
(昼食代、日本オリンピックミュージアム入場料、資料代等)
次の銀行口座に事前のお振込みをお願い致します。
【銀行口座】
城南信用金庫 新橋支店 普通預金口座 469126
株式会社従心会倶楽部 カ) ジュウシンカイクラブ
募集人員 先着20名
散歩コース JR原宿駅集合⇒ 代々木公園⇒ オリンピック青少年記念総合
センター(昼食)⇒ 明治神宮の森⇒ 日本オリンピックミュージアム
解散:JR千駄ヶ谷駅(午後4時頃)
申込先 株式会社従心会倶楽部 津久井 均
TEL: 090-4590-0404
Mail:h.tsukui@jushinkai.com

■主な見どころ

●国立代々木競技場
  モダンな近代建築・丹下健三設計
●代々木公園内見どころ
  ・代々木公園の森散策 54ヘクタール
  ・日本の航空発祥の地
●明治神宮の森
  参宮橋口から北参道~本殿、森林浴を
●新国立競技場
  隈研吾設計の木造、花木が植えられ環境に優しい設計
●日本オリンピックミュージアム
  今回のオリンピック開催に合わせて新たに建設されました。
  オリンピックの歴史がわかる各種の展示がされております

 

 

訃報:実践経営塾講師 神宮寺 能美 氏

6月20日、実践経営塾講師の 神宮寺 能美 氏がご逝去されましたので、謹んでお知らせ申しあげます。享年73歳。

実践経営塾 講師

神宮寺 能美 氏

〔連絡先〕
神宮寺 幸子 様 (奥様)
〒350-1305 埼玉県狭山市入間川1-9-6
電話 090-6947-7881

訃報:当社顧問 阿部和義氏

6月4日、当社顧問 阿部和義氏がご逝去されました。(享年79歳)
生前のご活躍に感謝し、心よりご冥福をお祈りいたします。


元朝日新聞 編集委員
阿部和義事務所 所長
株式会社従心会倶楽部 顧問

葬儀及び告別式は家族葬で行います。

【連絡先】
阿部 萬智子 様(奥様)
〒161-0034
東京都新宿区上落合3-7-3
電話 03-6279-3438