8月8日、ハワイ・マウイ島・ラハイナで山火事が発生し大きな被害がありましたが、1984~1991年の7年間ハワイに在住し、ラハイナでの事業を担当された元飛島建設株式会社の福田鉄男氏にご寄稿いただきましたのでご紹介させていただきます。
株式会社従心会倶楽部会員
元 飛島建設株式会社
福田 鉄男 氏
「私はかつて飛島建設に勤務していた頃、1984~1991年の7年間ハワイに駐在していました。
ハワイにおけるサトウキビ・プランテーションの地元財閥の一つであるアムファック社(Amfac Inc.)が所有していたマウイ島西部の最後の砂浜海岸を有する土地の半分の所有権を購入し、アムファック社との合弁でリゾートホテルの開発誘致を推進していくという事業計画でした。
購入した土地はマウイ島の既存の高級リゾートであるカアナパリ(Kaanapali)の北部隣接地でした。
そのカアナパリから2~3km手前(マウイ島のメイン空港であるカフルイ空港から行くと)が、今回山火事の延焼で全焼したラハイナ(Lahaina)地区です。
ラハイナは歴史的にはハワイにおける日本の京都の様なところです。
19世紀、ハワイがまだカメハメハ王朝の頃、アメリカ大陸の白人が本格的にハワイに移り住む前に捕鯨の町として栄えていて、当時はハワイ王朝の首都だったところです。
捕鯨船の船乗り達の荒くれ者が、酒場で飲んだくれ暴れて収監される監獄跡も有名な観光名所でした。またかつて日系移民がサトウキビ・プランテーションのために入植した所でもありましたので、日系人のための寺院があり境内には 三重塔もありました。
そんな良き昔の面影を多く残す意味での観光地でした。しかし、この寺院も三重塔も今回の火災で焼失してしまったのです。
私が勤務していた当時、飛島建設の現地法人であるTobishima USA Incの代表であった 大谷武彦社長など、開発予定地の視察のために社内外のお客様がマウイ島に来られた際は、必ずこのラハイナに立ち寄ったものです。
私がハワイに滞在していた頃は、このラハイナの街の山側のなだらかな斜面は地元の人の住宅地はあったものの、ほとんどがサトウキビ畑だったと記憶しています。
ところがニュースによると、最近はそのほとんどが雑草地となっていて乾燥しやすい状況となっていたようです。
ラハイナの火災後の廃墟と言えるほどのニューズ映像の中に、これも歴史的遺物としてラハイナのランドマークでもあった、かつてのサトウキビ加工場(Pioneer Mill Company)の白くて高いコンクリートの丸煙突がポツンと残っている姿が、私にはなんとも印象的でした。
今は、ただただ早期の復興を祈るのみです。」