風狂盲人日記 ㉒ 日経「私の履歴書」を楽しく読もう会

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。今回のテーマは「 日経「私の履歴書」を楽しく読もう会」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年8月31日

 この夏にはもう一つ楽しい集まりがあった。土曜日の午後、東京・日比谷のプレスセンターのレストランを借り切って「日経『私の履歴書』を楽しく読もう会」が開かれた。主催したのは、化学薬品会社重役だった吉田勝昭(まさあき)さんが20年ほど前に始めた「私の履歴書研究会」で、この日はコロナ明けの久しぶりの集まりということで、会員約20数人とその親しい友達に限定して、総勢92人。吉田さんの「私の履歴書」に関わる4冊目の新しい本が出版されるのを祝うパーティーでもあった。

 日経新聞朝刊文化面の「私の履歴書」は1950年代に始まったが、60年代から毎月一人を登場させ、1日に始まって月末に終わる30回の連載で、もう既に800人以上の各界著名人が登場している。

 吉田さんは若い時からこの定期コラムを愛読し、毎月その読後感を詳しく自分のホームページに掲載する一方、登場人物を様々な角度から分析し、それをデータベースとして蓄積している。彼が主催する研究会は、毎月20人近くが集まって、前月の履歴書について、食事をしながらそれぞれの感想を述べ合う社外勉強会で、私も何度かゲスト・スピーカーに招かれて、その議論に参加してきた。

 私は日経新聞記者時代に、1991年5月、初めての外国人としてフルブライト米上院議員を登場させ、それが予想外に好評だったため、90年代半ば以降、年に一人か二人は著名な外国人を取り上げることが、社内の基本方針となった。その社命を受けて、私は2001年10月にジャック・ウェルチ米GE会長、02年10月にルー・ガースナーIBM会長をそれぞれ登場させ、彼らの本社事務所や自宅、別荘などを訪ねて長時間インタビューし、その録音テープを聞きながら30回分の自叙伝にまとめていった。執筆にあたっては英文と日本文を同時に作成し、日本文がコラムの分量の約2割増しになる程度に書き、英文を本人にファックス(後にe-mail )で送って、本人がその文章を訂正してきた場合に日本文も書き改める、という方式を取った。だが実際には、3人とも私の英文を殆ど直さず、「よくできている」「面白い」と評価してくれ、こちらも安心して日本文をコラムの枠内にきっちり収まるように削る作業だけで済んだ。2割増しの英文自体は、日経が始めていたインターネットによる英文情報提供サービスの中に、売り物として本紙の3日後に連載分を発信し、これも読者から好評で、英文ネットサービスの拡張販売に貢献できたと自負している。

 そんな縁もあって、この日のパーティーでは乾杯の音頭を任され、「日経の記事をこれほど熱心に愛読してくれて、その成果を出版に結び付けている例は他に聞いたことがない。私としては勝手に日経の社長に成り代わり、吉田さんたちグループに感謝状なり表彰状なりを送りたい気持ちです」と挨拶した。

 パーティーではゲスト・スピーカーとして、日経の同僚、小牧利寿君が、東南アジアの4人の政治リーダーの履歴書を書いていることから、その内幕話を披露してもらった。マレーシアのマハティール、シンガポールのリー・クアンユー、インドネシアのスハルト、フィリピンのラモスで、取材には私の場合とは異なった苦労があったことが窺われた。

 新聞を作る側の率直な感想としては、自分たちの書いた記事を熱心に読んでくれる読者がいるということは、非常に取材の励みにもなるし、また会社全体に活気をもたらすことにも繋がっている。この日の吉田さんたちのパーティーは、そうした思いを改めて実感させるいい機会になった、と小牧君と一緒に喜んだ次第である。

(つづく)