風狂盲人日記 ⑱ オレゴンからの便り

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「オレゴンからの便り」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年5月18日

 米オレゴン州に住む高校時代の友人K子さんからメールがあった。近況報告を兼ねて、彼女が私の「盲人日記」を全て読んだ感想を記してくれたものだが、「日記の内容が多彩であり、しかも独自の視点で深く書かれていて、読者に勇気を与える」と絶賛してくれているのがとても有難かった。

 彼女は大学を卒業後、プロの翻訳家としてベトナム戦争を素材にした米国の小説を幾つか(そのうち一作は映画化もされた)、更に米有力政治家の評伝などを翻訳していた。その訳文は英語の複雑微妙なニュアンスの部分を巧みな日本語で分かりやすく、しかも美しく描いており、翻訳家としてなかなか優れた力量の持ち主だと感心していた。

 米国人と結婚し、もう長い間オレゴン州は郊外の山荘に住み、家庭菜園や草花の世話をしながら、四季折々の周辺の情景を詩に書く生活を続けている。
 ネットを通じて、日本の現代詩の動向についても詳しくフォローしていて、高校の先輩がナスやキュウリ、大根など野菜をテーマにした詩を書いていることなどを教えてくれた。

 50歳前後からバレーを習い始めた。トウシューズを履いて背筋を伸ばし、若い人たちと一緒に踊っていると気分も良く、姿勢も良くなると語っていた。更にオペラ歌手について声楽にも取り組んだことがあり、気管支を拡げ横隔膜を動かすことが体にとても良い、と私にも歌唱健康法を勧めてきた。

 そうした彼女の近況を知るにつけ、ふと、中学時代に愛読したドイツの作家ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)を思い出した。彼が20代で書いた『郷愁』『車輪の下』、また40歳で執筆した『デミアン』などは、10代の少年の多感な心の揺れを見事に描いたものだが、その彼の作品を最近改めて年代順に十冊近く読み直した(朗読CDで聴いた)。晩年のエッセイ集に『人は成熟するにつれて若くなる』という作品があった。ナチスドイツを嫌って第一次大戦前からスイスに移住し、湖畔のアトリエで南アルプスの山々や草原を毎日眺めながら夥しい数の風景画を描き続けた。第二次大戦中には『ガラス玉演戯』という現代社会を痛烈に批判する長編のSF小説を書き、これがノーベル文学賞の受賞作となった。

 戦後は訪ねてくる友人たちとの会話を楽しみ、膨大なエッセイを書き続け、世界各地の友人に丁寧な長い手紙を書き送っている。彼は少年時代から詩人に憧れ、詩作を続けることが生涯の生きる糧になっていた。 没後、彼の小説、詩、エッセイ、書簡類を整理した全集が編まれたが、全100巻を越える分量になっているという。年齢を重ねても青春時代のナイーブな感性を失わぬどころか、ますますそれに磨きをかけ優れた文章を綴っているが、その作品には人を見る目の優しさがあふれている。

 そうした「一生青春」を地で行くような生き方をすることが、私たち後期高齢者にも望ましいし、その好例がオレゴンのK子さんにも窺えると思う。

(つづく)