風狂盲人日記 ⑩ 悲劇の英雄、平知盛

 従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「悲劇の英雄、平知盛」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2022年9月末日

 今月区立図書館から借りて聴いたCDで最も感銘深かったのは、前進座の俳優、嵐圭史の朗読した『平家物語』(全12巻、CD30枚)だった。

 前進座は、1931年に、歌舞伎界を支配していた松竹に反発して、中村翫右衛門、河原崎国太郎らを中心に旗揚げした歌舞伎劇団で、武蔵野市に造った劇場を拠点に歌舞伎だけでなく現代劇にも取り組み、女優を登用しているのが特徴。嵐圭史は、翫右衛門の息子中村梅之助(現テレビ俳優、中村梅雀の父)と共に、70年代から90年代にかけて同座の2枚看板だった。

 嵐が一躍注目されたのは、「平家物語」に題材を取った木下順二の劇作品『子午線の祀り』で主人公の平知盛(壇ノ浦の合戦の時の平氏の総大将)を演じた時。源氏の総大将源義経には狂言師の野村万作、土壇場で平氏の重臣から源氏に寝返る阿波民部重能を滝沢修、ナレーションは宇野重吉、それに架空の人物「影身の内侍」を名女優山本安英が演じるという舞台で、狂言回し役となった影身の内侍と知盛が二人だけの心の対話をする形で劇が徐々に進行。特に平家方、源氏方、それぞれの武将たちがト書き(説明)部分を一斉に合唱するように語る「群読」の見事さなどは極めて評判の高い名舞台となった。私はその舞台を数年間に3回観た記憶があるが、毎回知盛を演じる嵐の朗々たる発声かつ哀調を帯びた語り口に、滅亡する平氏の運命を真正面から受け止めて、それに立ち向かい、壮絶な戦いをした後、大長刀を振り捨て、船から鎧2着を小脇に抱えて「『見るべき程のことは見つ。今は自害せん』とて・・・海へぞ入りにける」という最後まで、まるで歴史の一大絵巻を見るような心地さえしたものだった。

 今回のCDは単行本にすれば軽く1000ページを超す長編を原文通りたった一人で読み下したもので、公家や武将、女官たちを声色巧みに演じ分け、笛や鼓、太鼓、琴などの効果音も全く使わずに淡々と読んでそれぞれの場面をくっきりと脳裏に思い浮かべさせることに成功している。とにかく、文中に夥しく出てくる官位、人名を全く澱みなく、延べ30時間以上にわたって読み上げていく様子もまた壮観であった。

 知盛は能や歌舞伎、文楽でも人気演目の一つになっており、亡霊として現れる『船弁慶』では、海上に浮かび出て大長刀を振り回して義経に襲い掛かる様を不気味に、しかも見事な足捌きで演じた歌舞伎の中村富十郎の演技が忘れられない。また、文楽、歌舞伎の『義経千本桜』の中の『碇知盛』では、実は知盛が壇ノ浦で死なずに生きていて、義経一行への復讐を狙っていたという想定で、改めて大物浦の浜で義経一行と戦い、血まみれになって最後、大きな岩の上から巨大な碇の綱を体中に巻き付けて碇と共に海中に仰向けに飛び込んでいく様が、誠に壮絶な悲劇の英雄の死を示した傑作になっており、歌舞伎では三代目市川猿之助(現猿翁)、昨年没した中村吉右衛門、片岡仁左衛門の3人の名演が記憶に強烈に残っている。来月の国立劇場では、義父である吉右衛門から学んだ尾上菊之助が二度目の知盛に挑戦するのが話題になっているが、前回数年前初めて碇知盛を演じた時には、チケットが即日完売でどうにも手に入れられず、尾上菊五郎のマネージャーに頼み込んでも無理だったということで、悔しい思いをしていた。今回はそれを改めて観る機会ができた訳だが、もう2年前から失明したので全く舞台が観られないのが極めて残念だが、家内が代わりに観に行ってくれるので、あとでその様子を聞くことで慰めるしかないと思っている。

(つづく)