風狂盲人日記 ⑨ 「和」CDの楽しみ

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「『和』CDの楽しみ」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2022年8月末日

 半世紀以上の習慣だった読書ができなくなって丸1年半。代わりに点字図書館から文芸書の朗読CDでこれまで約250冊聴いてきたが、同時に足立区立中央図書館から「和もの」のCDを次々に借りて自宅で聴いてきた。その数はおよそ250枚以上になるかと思われる。この夏の終わりにそうした「和」CDで楽しんだ主なものを列記してみたい。

 ※観世流謡曲全集 全18枚
 ※広沢虎造浪曲 『国定忠治伝』7枚、『清水次郎長伝』14枚
 ※神田松之丞(現伯山)講談 3枚
 ※落語名人全集 古今亭志ん生 40枚、志ん朝 40枚、三遊亭円生 20枚、立川談志 40枚、
志の輔 10枚、桂米朝 40枚、枝雀 10枚

 ――以上がザっと主なものだ。それ以外にも、歌舞伎名台詞集、義太夫節(浄瑠璃)、長唄、などがそれぞれ数枚ずつあった。

 謡曲は能楽堂の舞台で観る時にはどうしても演者の動きを中心に観てしまうので、案外と台詞や地謡の言葉が耳を素通りしてしまうが、CDの場合、シテ(主役)、ワキ(脇役)の声が明瞭に聞こえるので、言葉の響きがきれいに耳に入ってくる。何より、舞台だと鳴り物(笛、鼓、太鼓)の音が鋭くて大きく、台詞や地謡の言葉をかき消してしまうことが多し、シテが面を付けたまま話すので声が籠って聞き取りにくい。それがCDだと鳴り物がなく、面も付けていないので、明瞭に聞こえてくる。舞台正面上手に並ぶ地謡の人たち(4~12人)の斉唱もきれいに揃って聞きやすい。このCDを1回目にはまず通して聴いて粗筋をつかみ、2~4回聴いて台詞を指で空になぞってみる。5回ぐらい聴いても全部書き取ることはほぼ不可能だが、8~9割方はそれで中身が掴めるし、仏語、漢文交じりの台詞が独特のリズムをもって心地よく響いてくるのが何とも楽しい。

 浪曲は小学生時代ラジオから流れてくる声を思い出して懐かしかったし、明治以降の大衆のヒーローだった侠客の生涯が美化されていて面白い。どのエピソードもストーリーは単純明快な勧善懲悪物だが、そこに親子の情愛、夫婦の機微、友情などが色濃く流れ、取り分け『次郎長伝』では、森の石松が極めて印象深く描かれ、小学生時代に観た東映時代劇の中村錦之助の石松が鮮明に思い起こされた。

 講談についてはいずれ詳しく別な機会に書きたいと思うので、ここでは省略。落語は記憶に残る名人たちの声が懐かしかったが、全集で今存命なのが僅かに志の輔一人であることに気付いて、時代の流れを痛感させられた。同じ人気演目を殆どの落語家が演じているのだが、その細かな演じ分けの違いがよく分かり、彼らの軽快なテンポの良さと絶妙の間の取り方が、音声からだけでも高座の様子が彷彿と浮かび上がってきて興味が尽きない。どの演者も人情噺から滑稽噺まで巧みに演じ分けて楽しめるのだが、談志の場合、講談の『三方ヶ原の合戦』(家康と武田信玄の戦さ)をなかなか見事に語るのを聴くと、やはりこの男は才人だなと思う反面、枕にしろ、話の途中にしろ、入れる言葉にあざとさがあって、やはり最後はあまり好きになれない。その点、一番弟子の志の輔は古典も正統的に演じてうまいが、また新作落語も『鹿の首』、『バールのようなもの』、『みどりの窓口』など、日常生活が異常な話に展開する見事さで、抱腹絶倒ものだ。失明以来、もはや寄席に通うこともできなくなってしまったが、こうしたCDによって日本語の持つ奥行きの深さ、楽しさを味わうのは何とも楽しい。

(つづき)