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オイスカ創立60周年 国際シンポジュームに参加

オイスカは 、2021年10月6日オイスカ創立60周年を記念して、国立オリンピック記念青少年総合センターにおいて国際シンポジュームを開催致しました。
従心会倶楽部から大谷代表を始め関係者多数が参加致しました。

世界課題の解決に風穴をあける
BE the SOLUTION!

主催者あいさつをされる中野悦子理事長
プレゼンテーションの模様
トークセション「世界課題の解決に市民がどう関わるか」に登壇した株式会社全笑 平野仁智代表取締役社長(右端)

新年の打合せ

お元気で新しい年をお迎えでしょうか。
正に歴史的な受難の新年においてこれからの生き方が、大きく問われる事になります。
従心会倶楽部も事業性を大きく追及するのではなく、会の原点に返り、あらためて事業の在り方を模索したいと思います。

活力あるシニアの経験と叡智を活かし、
シニアが活躍する場を創造すると共に人生をより豊かに送る為の仕組みを構築します。
また、シニアによる現役世代の支援を行います。
これらを通して社会に貢献したいと思います。

今後は、主要事業の「経営コンサルタント」「実践経営塾」に加え、オイスカとの提携、志を同じくするNPO法人との連携を図り、地方展開も視野に入れ社会に貢献できる事業展開を図りたいと思います。

新年度方針会議

事業展開会議
中野オイスカ顧問、松本東洋システム開発株式会社代表取締役社長

従心会俱楽部 顧問の勝又先生からの寄稿「2020年の回顧と展望」

 年末にあたり、従心会倶楽部顧問の勝又美智雄先生より「2020年(令和2年)の回顧と展望」を寄稿いただきましたので掲載させていただきます。

 皆さん: 本当に大変な1年でしたね。
年初には全く想像もしなかった激変の連続でした。「グローバル化の時代」を象徴するようなコロナ禍に世界中が恐れおののき、皆さんも、否応なく振り回されてきたことと察します。
何はともあれ、年末恒例の私家版「回顧と展望」をお届けします。

 まず、私の最大の事件は、予想もしなかった病魔に襲われたことです。
この2,3年、路上や駅の階段などで転倒することが何度かあり、新年早々、糖尿病で定期検診を受けている三井記念病院(秋葉原)の整形外科で「頚椎症性脊髄症」(舌を噛みそうな複雑な病名で難病です。要は首のところの脊髄に異常がある)と診断されました。放置していると手足のしびれ、けいれんがひどくなり、大きな事故を起こしかねない、と早期手術を勧められました。
たまたまコロナの影響で4月以降8月まで講演や出張、会議の類がほぼ全面キャンセルになったのを「奇禍」として、6月に3週間入院して手術を受けました。3週間もの入院は生まれて初めてです。聞けば日本での発症・手術例はまだ少なくて1000例ほどで、脊椎に沿って首の後ろを15センチ切り、脊髄の流れを良くするという手術で、成功率は80%くらい、とのことでした。担当医(副院長)が「私、割合得意ですから」という言葉を信じて、20%にならないよう祈るばかりでした。手術は2時間半の予定が3時間半。首の骨が異常に丈夫で、周りの筋肉が密集して切開するのに手間取った、とのことでした。私の頭も筋肉も硬くて固くて「3密」状態だったのですね。

一応手術は成功、ということで、あとは術後のリハビリに数か月かかる、ということです。
それとは別に、目と耳に異常が起きました。目は3年前に白内障の手術をして両目の視力が1・2にまで回復して喜んでいたのですが、この夏から右目の視界に薄墨を塗ったような感じで、テレビ画面も電光掲示板も信号機もほとんど見えなくなりました。近所の眼科医に診てもらっていますが、糖尿病の合併症ということで、レーザー治療と点眼薬で何とか「視力ゼロ状態」になるのを抑えているところです。加えて、11月から左目にも薄膜がかかり始め、慌てています。
さらに夏以降、良かったはずの右耳も急速に悪くなり、メヌエル病と診断されました。目と耳がこれ以上悪くなったら、日常生活も大きな支障が起きそうです。MRIなどいろんな検査を受け、医療費も重なって、経済的にも厳しい状態が続いています。
 さらに加えて、毎日酷使していたパソコンが4年半で故障しました。内蔵していた膨大なデータ類を取り戻すのに3万円以上かかり、PCも買い替えるしかなく、それで10万円以上の出費が重なり、もう「トホホ状態」です。今月届いたばかりの新しいPCを使い慣れるのにも苦労しています。

 社会活動も激変しました。「グローバル人材育成教育学会」の会長として、9月に関東支部大会、11月に中国四国支部大会に参加しましたが、どちらもZOOMを利用した遠隔会議でした。今年度の全国大会も新年2月に九州支部大会と合わせて鹿児島大学で開催する予定ですが、これもZOOMになります。

 一般財団法人、日本語教育振興協会(日振協:佐藤次郎理事長)の評議員兼評価委員の仕事として、全国各地の日本語学校の現地審査に出かけたのも4月が最後で、この夏以降はZOOMによる審査で、現地の校長や教務主任とやり取りしています。公益社団法人、国際日本語普及協会(AJALT、関口明子理事長)の理事会もZOOMになりました。
  また17年春から3年間の期限付きで始めた「中嶋嶺雄研究会」は、昨年末に開催した第6回公開フォーラム「国際関係と地域研究」で終了しました。昨年夏に開催した第5回公開フォーラム「日本外交への提言」の概要を今年1月に刊行したのが、事実上の研究会活動の最後になりました。
 また昨年秋から理事に委嘱された国連技術開発協会(UNITAR=途上国の人材養成研究機関)の活動としての講演も今月、ZOOMで行い、画面には出て来ないけれど、全国各地だけでなく、海外からも視聴していることが分かって、ちょっとびっくりしています。
 さらに昨年から一般社団法人、グローバル教育研究所(渥美育子理事長)の理事となって、新年には「世界共通教育宣言」の活動や「グローバル度検定試験」の開発などにも関わる予定です。

なお17年から副会長をしている「東外大留学生支援の会」も、コロナで留学生が来日できなくなっていることなどで事実上、活動休止状態が続いています。幸い、谷和明・東外大名誉教授が今春、新会長に就任して、外大留学生課、学生課との連絡を緊密に取りながら、支援の会として何がどこまでできるのかをきちんと押さえながら会の運営を進めてくれていて、まことに心強い限りです。

 こうした状況で、今年はほぼ30年ぶりに海外旅行はゼロ。国内も春に沖縄に2週間、夏に札幌の大学の経営陣に「大学改革」の集中セミナーをやり、9月に福島の高校で講演したくらい。10月に秋田を2年ぶりに訪問してゆっくり友人たちや教え子たちと歓談できたのがとても良かったです。

執筆活動では、静岡新聞から頼まれて4~6月、夕刊1面のコラム「窓辺」に毎週1回、計13回、エッセイを連載しました。昨年から懸案になっている『最強の英語学習法』(IBC出版、2017)の続編を書く計画は、コロナでほとんど取材ができなくなり、停止状態が続いています。何とか新年の夏までには出版する予定ですが、さて・・・。

 我が家で今年最大のGood News=ハイライトは、妻の百合子が、カナダ・BC州のヴィクトリア大学で博士号を取得したことです。今春の最終の口頭試問もZOOMで行われる変則事態でしたが、4人の試験官全員が「合格」と判定しました。博士論文のテーマは「歌舞伎台本を利用した日本語教材の作成とその効果の検証」です。日本人主婦、71歳の快挙です。
 2009年に60歳で「勉強がしたくなった」と、同大アジア太平洋文化研究科修士課程に入学。たまたま同大が国際教養大学(AIU)の提携校で、私も教授時代に訪問してなじみがあります。そこで中嶋嶺雄学長の推薦文(私が代筆)をつけたところ、「学長がこれほどほめるなら」と授業料免除の特待生で受け入れてくれました。修士論文は「日本人はなぜ忠臣蔵を好むのか」という歌舞伎の社会文化史的研究でした。修士は2年で修了、指導教官らに博士課程に進むよう勧められ、同研究科には博士課程がなかったので、2012年に博士課程のある言語学部応用言語学科の修士課程に入り直し、修士の必修4科目を1年間ですべて「A」を取得することが条件でしたが、無事にクリアーし、2013年に博士課程に進学、7年がかりで達成したものです。
 お祝いに博士号授与証を入れる額縁を2万1千円で作成してプレゼントしました。
 妻は今、自宅でZOOMを使って在日中国人の主婦らに「生活日本語」の中上級レベルをボランティアで教えています。ロスに住む長男が20キロの減量に成功したと知り、それに刺激を受けて毎日、1万歩以上の散歩に、ヨガ教室に通って頑張っています。

 妻を歌舞伎ファンにしたのは私ですが、私はこの秋、ついに歌舞伎との縁に区切りを付けました。
 1990年、ロサンゼルスから帰任して以来、歌舞伎通になろうと決めて、歌舞伎座と国立劇場の歌舞伎公演をすべて見て、古本屋巡りをしては関係書を買い集めました。それをそろそろ「終活」準備で整理しようと思い立ち、大阪の「高価買取」の古書店に引き取ってもらいました。”目玉“は1947年から2016年までの歌舞伎専門雑誌・月刊『演劇界』が全冊そろっていること、さらに各種歌舞伎全集、写真集、評論集から公演プログラムや台本などが段ボール箱で23箱になりました。事前に本棚の写真を送ったら、見積もりは3万円、結局、引き取り値は3万3千円でした。軽く千冊を超える本を集める苦労エネルギー、投じた金額から考えると、悔しい思いが強いですが、冷酷な「資本主義の論理」で仕方ない、とあきらめるしかなかったです。

 そんなこんなで、振り返れば悲喜こもごも。「コロナで自粛」と言いながら、実際にはほぼ週に3回は近くのNY(=ニューヨーク=銭湯)に通っています。これが気分転換に最高です。夕方は70~80代の常連さんに刺青のおじさんたちでにぎわっています。庶民の町、足立のDeep Spotsを楽しんでいます。
 新年にはますます「老人力」をつけ、病院通いが続きそうですが、折を見て、また皆さんと一緒に楽しく飲み、食べ、おしゃべりしたいと願っています。
どうぞ、よろしくお願いします。

勝又美智雄・国際教養大学名誉教授
〒120-0011 東京都足立区中央本町2-14-17-207

株式会社全笑が京都で焼肉店YAKINIKU BBQ FUSHIMI TERRACをオープン

従心会倶楽部の会員である株式会社全笑は、本年11月に京都で焼き肉店をオープンいたしました。
そこで、平野社長より焼き肉店オープンのねらい、お店の様子などについて寄稿いただきました。

オープンしたYAKINIKU BBQ FUSHIMI TERRAC

わたしたちは、香辛料の製造卸をメインとした事業をおこなっております。
その活動の中で、全国の多くの生産者の皆様にお世話になっておりますが、後継者不足は深刻な問題となっております。
その農家さんの後継者を育成する目的で、障害を持った方々に農業技術を学んで頂き、就農・就労に繋げる就労継続支援B型の施設を京都府南丹市に2019年7月に開所し、現在、20名以上の利用者の方々に通所して頂いております。
福祉施設でよくされている、スタッフと利用者で農産物を栽培するモデルでは、家庭菜園レベルが限界です。
わたしたちは、地域の生産者の皆様と技術を学んだ利用者がタッグを組み、地域全体の生産量の向上を目指したモデルの構築を目指しております。
そして、この生産された農産物を買取り、加工、販売することにより、付加価値を高め、全国平均15,000円と言われているB型の利用者の方々の工賃(月の収入)を100,000円/月まで引き上げるモデルの構築を進めております。

そのモデル構築の一環で、この度、11月29日に京都市伏見区、伏見稲荷大社の近くに、龍谷大学前に美味しいお肉と、新鮮な野菜を楽しんで頂く、YAKINIKU BBQ FUSHIMI TERRACEをオープンさせて頂きました。
2021年には、カフェを1軒、道の駅を1軒、オープンの予定となっております。

まずは、京都で障害を持った方々に農業技術を学んで頂き、就農・就労に繋げる、継続可能な後継者育成のモデルを構築し、お世話になっている産地にも広げていきたいた考えております。

就労継続支援B型の施設

日本人の法意識

 

南雲 康宏 氏
株式会社従心会倶楽部
シニアアドバイザー

 

 中国は人治国家であり韓国は情治国家と言われるが日本は法治国家である、というのが大多数の日本人の認識ではないでしょうか。私はその認識には懐疑的であり、日本は法治国家ではあるが実態は選択制法治国家ではないかと思っています。選択制とは何か?それは自分の気に入らない法律は無視するか守らないということです。

 同性婚:渋谷区は「同性パ-トナ-シップ条例」を2015年4月に制定し同性婚に風穴をあけた。これは憲法24条に、婚姻は両性の合意のみにて成立し、とあり当条例は憲法違反の疑いが濃厚です。LGBTに寛容なのは世界的潮流であり、日本も例外ではない。にもかかわらず条例制定以来5年、憲法改正の声は全く聞こえてきません。

 私学助成金:憲法89条(抜粋)公金は公の支配に属さない慈善、教育、博愛の事業に支出してはならない、とある。文科官僚の天下りの強力なツ-ルである私学助成金も憲法違反の疑いがあります。実態に合わせて憲法改正しようという声を上げる人は誰もいない。さりとて憲法違反の疑いがあるから私学助成金は廃止すべきという声も聞こえてこない。
 憲法違反といえば憲法9条。最近のアンケ-ト調査では自衛隊に好意を持つ人はほゞ90%に達する。しかし憲法9条改正に賛成の人はアンケート調査結果の90%には遠く及ばない。

 閣議決定を無視し、国会決議を無かったことにする日本人。

 真珠湾攻撃で始まった日米戦争は東条内閣によって大東亜戦争と称すると閣議決定されました。戦後文部省教科書検定で先の大戦を大東亜戦争と記述した教科書は検定官によって太平洋戦争に書き改めさせられました。

 サンフランシスコ講和条約が発効したのは昭和27年(1952)4月28日。

 その後同年6月を皮切りに「戦争犯罪人の名誉回復」に関する法律が国会で4本可決されました。こうして国内法では戦争犯罪人はいない事になりました。しかし、自分の気に入らない法律は守る気のない選択制法治国家の住民は、A級戦犯が合祀されているという理由で靖国神社参拝を執拗に批判しています。なぜ彼(女)等は、「戦争犯罪人の名誉回復」に関する国会決議取消の運動を起こさないのでしょう。

 こういった現象の背景には、一旦決めたことは廃止したり改正したりすることを嫌う日本人の民族性があると思っています。

 大宝律令→鎌倉幕府の御成敗式目→江戸幕府の公事方御定書→明治憲法→日本国憲法国の最高法規の変遷を並べてみました。どの法令も前の法令を廃止したり改正して出来たものではありません。明治初期に発令された “廃刀令” “断髪令” の法的根拠は “太政官布告” です。鎌倉時代から600年以上眠っていた “大宝律令” が突如目を覚ましたのです。この融通無碍な法意識、日本人の面目躍如といえるのではないでしょうか。

 平安時代治安が乱れ、治安維持のために “検非違使” が創設されました。律令にない官職なので “令外官” と呼ばれました。戦後創設された自衛隊も現代の “令外官” と言えるでしょう。

 憲法9条改正で左右相争う現代の日本人。先人の知恵に学ぶべきではないでしょうか。 

<ドイツ人と日本人の法意識の違い>

 第二次石油危機の時にドイツに駐在していた友人の話をご披露します。
ガソリンの需給が逼迫していたので政府は “〇月〇日よりガソリンの販売を制限する” 通達を出しました。日本人は 「供給制限が始まる前に旅行しておこう」と言って実行しました。ドイツ人は 「〇月〇日を待たずとも今既にガソリンが足りないのだ」と言ってガソリンの消費を自粛しました。一つの法律に対する日独両国民の対応の違いが鮮やかに浮き彫りになったエピソ-ドでした。

 

国際人

南雲康宏 氏
(従心会倶楽部 シニアアドバイザー)

 日本人は、日本はもっと国際化しなければならない、日本人は国際人にならなければならない、という強迫観念に捉われているように思えます。それには英会話だ、という訳です。
社内会議を英語で行う企業も現れました。TOEICの点数も一定点数以上ないと昇進できない企業もあります。50年以上前、私の勤務する会社で英語を人事考課に反映する案がありました。しかし、海外営業部以外の社内の大反対でオクラになったことがありました。

 英語が話せることが国際人の条件か?
アメリカでは移民一世を除けば皆英語を不自由なく話します。世界中どこでも英語が通じ、ドルがどこでも使えると思っている人は多いです。私は “東京から香港まで車で何時間かかるか?“ と聞かれたことがあります。それに比べれば日本人の方が(一般人レベルですが)よっぽど国際人だと思います。でも、英語が話せなくとも国際化は必要です。

 英語を流暢に話す日本人で、外国に行って日本の歴史、文化、伝統について聞かれた場合、殆ど何も答えられない人が多いと聞いています。いくら英語が流暢でも自国のことをきちんと説明できなければ、逆にその流暢さが軽蔑に変わりかねません。
 私の個人的見解ですが、国際人養成には学校教育で日本史の必修化、国語教育の質的向上を図るべきだと思います。外国語は母国語の水準以上には上達しないというのが専門家の見解です。残念ながら今や日本語は乱れを通り越して壊れていると私は思っています。
 従心会の会員でもある勝又美智雄氏が創立メンバ-である国際教養大学では学生の留学先を選ぶのに日本人のいない大学を選ぶと聞いています。マンガやアニメのおかげで日本・日本人は人気があるので質問攻めにあうのですが、聞かれた学生はいかに自国のことに無知かを知って愕然となるようです。そこで日本について猛勉強するらしいのですが、留学を終えるころには全く違った自国に対する認識を持つようになるようです。
 日本人女性と結婚し長年東京に住んでいるアメリカ人に、国際人って英語で何というか聞いてみました。しばらく考えていましたが、日本語の「国際人」に相当する英語はないとの事でした。因みに、国際化・国際人を英語に直訳すると、<国際化>=Internationalization 意味は(国際or共同管理)Internationalization of Suez Canal という風に使います。
<国際人>=Internationalist 意味は A specialist of International Law=国際法の専門家だそうです。

 以下に外国語が話せなくても国際人たり得ることを示すエピソ-ドをご紹介します。
元治元年(1864年)長州は英仏蘭米の四国連合艦隊に敗れました。(馬関戦争)
講和会議でイギリスは彦島の租借を条件の一つに持ち出しました。藩から全権を任された高杉晋作は延々と古事記を朗唱して相手を煙に巻き要求を断念させたというエピソ-ドが残っています。高杉晋作は<租借>の意味を完全に理解していたと思われ、もしこの交渉で彦島の租借を受け入れていたら(事実藩の上層部は租借の要求を受け入れても構わない意向のようでした)彦島は第二の香港、下関は九龍半島になっていたことでしょう。租借期限の切れる99年後は、なんと1963年東京オリンピックの前年になります。明治維新以降の日本の大躍進もなかったことでしょう。
 この話には異説があり、通訳を務めた伊藤博文のホラ話だという人もおり、イギリス公使の通訳官ア-ネスト・サト-の日記や回顧録にも彦島は出てきていないとのことです。

マホトハ・ガンデイ-といじめ

従心会倶楽部シニアアドバイザー 南雲 康宏氏からの寄稿を掲載させていただきます。

 

 

南雲 康宏 氏
従心会倶楽部 シニアアドバイザー

 インド独立の父マハトマ・ガンデイ-は「非暴力・不服従」を提唱し、一身をインド独立に捧げた。アメリカの公民権運動の指導者マ-テイン・ル-サ-・キング牧師や南アフリカの反アパルヘイト闘争を率いたネルソン・マンデラ元大統領に強い影響を与えた。
ガンデイ-の主張を「無抵抗主義」という人がいるが、それは誤解であり、あくまで「非暴力・不服従」を貫いたのです。

 日本の社会では、特に学校では “如何なる理由があろうとも暴力は絶対に許されない” とされています。しかし、ガンデイ-はこうも言っています。「ここに暴力と卑怯のどちらかを選ばなければならないとすれば、私は暴力を採るであろう。」意外ではありませんか。暴力を否定したガンデイ-は暴力より卑怯であることを憎んだのです。非暴力は無抵抗とは違うのです。
日本でも江戸時代の侍は卑怯・怯懦を憎み嫌いました。ひとたび「卑怯者!」と罵られたら刀にかけても即ち命に代えても名誉を守らなければならなかったのです。
私の明治生まれの亡父は、「弱い者いじめは卑怯者のすることだ。」と強い口調で非難がましく言っていました。今では “卑怯者” という言葉は日常会話からは消えてなくなりました。

 いま学校では “いじめ” による生徒の自殺が深刻な問題になっています。
事件が起きるとマスメデイアを前に校長が沈痛な面持ちで「起きてはならないことが起こってしまった。生徒には命の大切さを教えて行きたい」などと本質を外れたコメントを述べています。
いじめっ子に抵抗しようとしても “いかなる暴力” も禁じられているわけですから、被害者である生徒には逃げ場がないのです。そして悲劇が・・。
弱い者いじめは卑怯である。卑怯は悪であり、恥ずべきことである。こういった価値観が生徒、父母、教師、教育委員会などの共通認識になれば、命の大切さを教えなくてもいじめは少なくなるのではないでしょうか。