風狂盲人日記 ㉖ 2023年の回顧

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「2023年の回顧 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年12月吉日

 年末に年賀状を書くのを止めて、代わりにその年の極めて私的な回顧文を書くようになってもう10年ほどになる。それを今回は、この盲人日記の一部として書くことにしたい。この日記は2年前全盲になって落ち込んでいた時に、シニア世代のための文化交流団体・従心会の大谷武彦会長から勧められて、月1~2回のペースで書き始めたものだが、幸い従心会ホームページの看板コラムになって好評だと励まされ、今後も暫く続けていくことにしている。

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 振り返ってみればこの1年は、私の人生の中でも最も静かで穏やかだった。70代になってから体のあちこちにガタが来て、脳や頸椎の動脈の手術、眼科のレーザー治療、循環器の検査入院から大腿部の動脈手術など、実に様々な病気で入退院を繰り返し、手術を行い、毎月数回病院通いをしていた。それが今年は、通院も2~3ヶ月に1回定期検診に行く程度で、目下、眼以外の体調は年齢相応か、それよりも若く健康、との診断を受けて一安心している。

 3年前までは、年に2~3回は海外旅行し、国内旅行は毎月2~3回というペースで、北海道から沖縄まで巡っていた。しかし今年は1泊以上の旅は一度も無し。毎日家で朝9時過ぎから夜11時過ぎまで古今東西の文芸作品、評論などの朗読CDを聴いている。ザっと年に250冊以上読んでいる(聴いている)勘定だ。

 今年聴いた作品群で最も印象に残っているのは、シェークスピアの全37作品、シャーロックホームズ・シリーズ全50篇、米作家のヘミングウェイ、フォークナー、スタインベックの主要作品や、アップダイクのラビット・シリーズ全4作など。加えて日本の作品では、小松左京の『日本アパッチ族』『復活の日』『明日泥棒』『継ぐのは誰か』『日本沈没』、さらに大沢在昌の『新宿鮫』シリーズや、彼の長編作品をしっかり楽しんできた。

 失明以来、社会生活は殆ど無理と考えていたが、昨年国際交流団体IAC(国際芸術家センター)の依頼で、Zoomを使って講演する機会を与えられたのをきっかけに、今年も計4回、英語教育論や古典芸能案内などの講演を行った。

 加えて、グローバル教育研究所(渥美育子理事長)が毎月出しているニュースレターに、「グローバル人材を育成するための方法」について4回連載を書いた。こうした講演のレジメ作りや原稿の執筆には、家内の全面協力が不可欠で、感謝し続けている。

 外からの情報は耳だけが頼りだが、左耳は全く聞こえず、右耳も普通の人の半分ほどまで聴力が下がった。そのため、夏に補聴器を清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入した。デンマーク製で実に40万円。1970~80年代は、日本の技術力が世界一を誇ったが、90年代以降の過去30年間、日本は低迷し続け、技術力も国際競争力も首位から滑り落ち、現在世界での競争力総合順位が34 位にまで下がっている(スイスの研究機関IMDの『世界競争力年鑑』 2023年版)。代わって躍進したのがドイツ、オランダ、デンマーク、フィンランド、ノルウェーなど、東欧北欧諸国であり、日本は中国にも韓国にも競争力で劣る地位にまで落ち込んでしまっている。それを象徴するように、時計・補聴器類の精密機械は軒並みヨーロッパ勢に大きく技術水準で水をあけられている、ということが痛いほどよく分かった。

 穏やかな日々の中で最も嬉しいのは、親しい人たちから電話がかかってきたり、また会いに来て色々話をしてくれることだ。今30代で活躍している大学の教え子たちの近況を聞くのは実に楽しいし、彼らの活躍がよく窺えて心が弾む。結婚式に招かれて挨拶したり、社外勉強会、異業種交流会で様々な人から声をかけられるのも、実に嬉しい。そうした体験は、この1年間の盲人日記でも折に触れて書いてきたので、興味ある方は是非従心会のホームページでバックナンバーを検索して頂きたい。

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 年末によく出る歌舞伎の演目に『松浦の太鼓』という芝居がある。元禄15(1702)年12月の夕暮れ、両国橋のたもとで連歌・俳諧の宗匠、宝井其角がみすぼらしい身なりで大掃除用の笹竹を売り歩いている若い男に出会い、それが、自分のところで歌を学んでいる赤穂浪士大高源吾と気付いて、「年の瀬や 水の流れと 人の身は」の上句を言い、下句を付けるように促す。すると源吾はしばし沈黙した後、「明日待たるる その宝船」と付けた。世の無常観や憐れみを嘆息する下句が付くと想像していた其角は戸惑い、後日14日深夜、親しい松浦侯の屋敷で茶を飲みながら世間話でその話を披露した。すると赤穂藩断絶の幕府の一方的な処分に怒り、赤穂浪士たちに同情していた松浦侯も、その下の句の意味が解せずに首を傾げていると、隣の吉良邸のあたりから山鹿流陣太鼓の音が聞こえてくる。そこで、松浦侯は咄嗟に浪士の討ち入りを直感し、大喜びして助力を申し入れようと勇み立つ、というストーリーで、数年前に亡くなった中村吉右衛門がこの松浦侯を実に気持ちよさそうに演じていた姿を何度も歌舞伎座の舞台で観たことを、年末になると思い出す。

では、其角の句に私なら何と付けるかを考えてみた。案外たやすく出てきたのが、崇徳院の「瀬を早み」の竜田川の本歌取りで、「わかれてもまた会わんとぞ思ふ」でどうだろう。新年も知人・友人たちからの電話や呼びかけを何よりも楽しみにしている、というほどのつもりだ。このコラムの読者の皆さまにも、どうぞ良い新年をお迎えください。

(つづく)