風狂盲人日記 ㉔ 日本の古典芸能の魅力

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「日本の古典芸能の魅力 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年10月31日

 木曜の朝、東京の社外勉強会「丸の内朝飯会」でZoomで講演した。演題は、主催者の注文に従って「古典芸能の魅力」とした。午前7時半から1時間講演し、その後30分質疑応答という形式だ。私が年来、歌舞伎・文楽は日本文化の粋、と語っているのを知って、主催者が依頼してきたものだ。別に歌舞伎の専門家、研究者でもないが、1990年秋にロサンゼルス特派員の任を終えて帰国して以来、丸30年間歌舞伎座の毎月の昼・夜の演目、国立劇場の文楽公演は全て観てきた。我が書斎には、その関係の全集や芸談、評論、専門雑誌類などが、段ボール箱に詰めたら50箱以上にのぼっていた。と言って、単なる印象批評をしてもあまり意味がないと思われたので、何故歌舞伎・文楽が日本を代表する優れた伝統文化なのかということを、歴史的に素描しながら、その魅力を語ることを試みた。

 最初に強調したのは、文化の基盤をなす日本語の抑揚とリズムが、大和朝廷から奈良時代にかけて定着したことだ。それも、万葉集、古事記、日本書紀に見られるように、五七調(あるいは七五調)の短詩形の連続で自分の心情を表現するようになった。その抑揚、リズムが鎌倉期の平家物語、室町時代の太平記という語り物を通して、日本人の仏教をベースにした宗教観、生活倫理、死生観を広く浸透させることになった。

 日本人の生活様式や伝統文化の特徴が固まったのは室町時代から。まず観阿弥、世阿弥の親子が中心となって謡曲が生まれ、それを能舞台で演じる演劇集団が誕生した。その謡曲が江戸時代に入って歌舞音曲の多様化を促した。まず京都で出雲阿国一座が四条河原で公演をし、それが歌舞伎の原点となって、京、大阪、江戸と17~18世紀に一気に日本固有の芸能として発展していく。その芸能の特徴として、次の点が挙げられる。

  • 音曲部門で能の笛、鼓、太鼓から三味線が急激に普及し、その演奏家たちが家元制度によって技術の伝承と普及を進めた。
  • セリフ術を中心とする舞台上の演技もまた、親から子へ伝承される「お家芸」で伝えられ、その家元制度によって世代交代が次々に行われるという、世界でも数少ない芸能文化の普及形態が進んだ。
  • 本来武士階級を対象にした謡曲が、人口の9割以上を占める農民・商人に普及するにあたって、語りが浄瑠璃(義太夫(太棹)、清元・常磐津(中棹))、長唄(細棹)と三味線も多様化し、音色が一段と豊かになり、その語り手、唄い手たちもほぼ全て家の芸を継ぐ形が厳密に守られた。
  • 伝統芸能のほとんどは以上のように、それぞれの流派の型(形式)をしっかり守る形で広がり、それが役者であればセリフや見得、動きなどすべてに渡って型どおりに行うことがプロとしての技量を測るバロメーターとされた。

こうした型を生み出し定着させていくことが、それぞれの「お家芸」の伝承として最も重んじられる点に、日本文化の最大の特徴がある。江戸では市川團十郎(成田屋)、尾上菊五郎(音羽屋)、関西では片岡仁左衛門(松嶋屋)、中村鴈治郎(成駒屋)という、それぞれ名優を祖とする一門が活躍し、今日に至っている。

更に、江戸時代には座付き作者が次々に登場。大阪では近松門左衛門、江戸では幕末から明治にかけて鶴屋南北や河竹黙阿弥が優れた脚本を提供し、『白浪五人男』『三人吉三』などの名セリフと共に庶民の間で広く歓迎された。このうち特に私が注目してきたのは近松の心中物だ。この世で添い遂げられない若い男女が、あの世で幸せになろうと誓い合って死への旅路を歩む「道行(みちゆき)」は、世界の古典芸能、芸術作品などでも殆ど類例のない特殊な「情死の賛美」であり、普段この世の理不尽さ、不幸にじっと耐えている観客たちにカタルシスを与える優れた芸術美だと私は思う。

明治以降、天皇が九代目團十郎、五代目菊五郎の舞台を鑑賞して以来、岡本綺堂、真山青果、谷崎潤一郎ら多数の作家が新作を提供し、歌舞伎の演目を増やし続けて今日に至っている。1960‐70年代の高度成長期には、テレビ・映画の普及で歌舞伎・文楽は古臭いとして客も入らない時代が続いたが、その後古典芸能の魅力に気付いた人たちが新たな観客層となって、歌舞伎座や国立劇場に通い始め、今日では世代交代がどんどん進む中で、新たな役者・芸人たちが着実に育っている。私は3年前に失明してから舞台が全く見えなくなってしまって、劇場通いを断念したのだが、これまで半世紀以上にわたって様々な形で見聞してきた名優たちの舞台などを脳裏にくっきりと思い浮かべることができ、それを折に触れて反芻する形で楽しんでいる。

(つづく)