風狂盲人日記 ⑭ お正月には箏(そう)の音を

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、一昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「お正月には箏の音を」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2023年1月×日

 お正月には箏の音を聴こう、と思い立って東京都足立区立中央図書館から筝曲のCDを計10枚借りてきた。昔(と言っても私が小中学生から高校時代にかけての昭和30~40年代)の正月には、町の商店街や公民館などの有線放送スピーカーから、必ずと言っていいほど宮城道雄の『春の海』が聞こえてきていた。都会のデパートでも、正月の店内BGMの定番が『春の海』あるいは古曲の『六段』だったと記憶している。

 宮城道雄(1894~1956)は8歳の頃から視覚障害となり、10代後半には全盲となったが、幼くして筝曲を学び、10代半ばには生田流の免許皆伝を受け、弟子を指導するほどにもなっていた。『春の海』は1929年(昭和4年)に彼の作った作品だが、フランスのバイオリン奏者が早くに注目し、ヨーロッパに紹介したため、戦前から箏の名曲として世界的に知られるようになっていた。宮城は長短合わせて100曲を越す作品を作曲しただけでなく、13弦の箏では飽き足らず、17弦、さらに20弦以上も備える新しい箏も開発するほど研究熱心で、壮年以降も大変な活躍が期待されていたが、演奏旅行の途中列車のデッキから転落して死亡するという事故で惜しくも62歳という若さで亡くなった。

 彼の筝曲は、ゆったりした流れの中で箏の複雑微妙な響きを豊かに感じさせる典雅なものが多く、聴いていて心が和む。もっと長生きしてくれれば、更に素晴らしい曲をたくさん作ったのではないか、と思われるのが誠に残念だ。

 借りたCDで驚いたのは「現代の筝曲」シリーズ5枚組だ。戦後も1970年代以降活躍してきた若い筝曲家の演奏を収録したものだが、伝統的な演奏法に基づいた誠にゆったりとのどかな曲から、驚異的なスピードで弦を弾くアップテンポな曲、また曲の起承転結がドラマチックに展開されるような作品など様々で、箏が既にポップミュージックやジャズ、クラシック音楽などとのコラボレーションも可能なところまで来ていることが実に良く分かった。

 参考資料として家内がネット検索して教えてくれた筝曲家、沢井一恵(1941~)のインタビュー記事を聞いて驚いたのは、彼女が武満徹や坂本龍一など現代日本を代表する作曲家の曲を演奏したり、五島みどりのバイオリンと組み合わせたコンサート活動を欧米で何度も行った上、ロシア人作曲家が彼女のために作った箏の曲をNHK交響楽団を背景にして演奏し、更に欧米でも様々なオーケストラと共演してきていることだ。彼女は欧米の大学に箏を寄贈すると同時に、弟子たちをその指導係として一緒に派遣し、各地の大学で邦楽講座を設けて筝曲の良さの普及に大きな貢献をしてきている。

 私たちはともすれば「国際的に活躍できる人間づくり」「グローバル人材の育成」などを強調しているが、その実態は未だに英語を学ぶことがその必要十分条件と考える風潮に染まっている。だが本当のグローバル人材とは、こうして日本の伝統文化の良さを理解し、それに誇りを持って海外でそれを分かりやすく伝えることができる人間だということを、こうした筝曲家の努力の跡から窺い知ることができるだろう。

 それにしても、私自身これまで毎年1月には国立小劇場で開催される邦楽公演を聴きに行っていたのだが、この3年ほどはコロナと失明とが重なってそれも果たせなくなっていた。だが、この正月はそうした「邦楽」の良さをCDで再確認することができ、まさに「こいつは春から縁起がいいわえ」の心境に浸っている。

(つづく)