石巻、南三陸を視察してきました。

こんにちは、従心会倶楽部の辻です。
12月2日(日)、たまたまご縁を頂き、宮城県石巻市沿岸部と南三陸町の視察に行ってまいりました。
昨年3月11日に発生した東日本大震災から1年半以上経った現在、現地の復興状況がどのようになっているか、また、当時の被災状況は実際どのようなものであったのかをこの眼で見たい、との想いで現地に赴きました。
仙台市内から車で約1時間、まずは石巻に入りました。
沿岸部を一望できる小高い山の上にある日和山公園に到着。
周囲を見渡し、唖然として呟きました。「何にも進んでいない・・。」
津波で被災した地区は住宅の基礎コンクリートがむき出しになっていて、かろうじて、ここに家があったのだろうな、と分かる程度。漁協や水産会社の工場などは営業活動を再開されているようでしたが、住宅については全く建っておらず、代わりに、おびただしい数のお墓が立っていました。
考えれば、震災で大きく地盤が沈下したこの地域は、津波に対する抜本的な対策が施されない限り、住むことも、施設を作ることもできない土地になってしまったのでしょう。
その後、間近に沿岸部を視察するため日和山公園を降り、石巻漁港を目指しました。
これでも随分ましになった、とはお聞きしているものの、道は地盤沈下の影響でまだかなり段差が多い状況です。
コンクリートの基礎を横目に見ながら海に向かって進んでいくと、10数台程度ずつ、うず高く積まれ、野晒しになっている車が目に飛び込んで来ました。
ほとんどが、津波で被害を受けたものだと思われます。
ただただ放置されているようですが、あまり放っておくと有害物質などが発生したりしないのでしょうか?
少し心配になりました。
漁港にたどり着くと、以前は卸売市場があったのでしょうか、大きな建物の壁・天井などが滅茶苦茶に壊れていました。
倒壊や天井崩落の危険性がないのか気になりましたが、見た限り、片付けが進んでいるようには感じられませんでした。
ただ、今年の3月頃には1台も無かったと聞いていた漁船が港に何台も係留され、また、水産加工場や食堂などが再開している様子を見つけ、民間レベルでは地元の方々の必死の努力が地道に、また着実に実を結んでいることが分かり、胸が熱くなる思いでした。
その後、今年3月の当ブログでもご紹介した株式会社黒須物産の黒須社長とお会いし、お話しを聞かせて頂きました。(以前のブログ記事はこちら
自分の会社は約8割程度まで復興したとのお話しでしたが、震災発生から現在まで、社長・社員ともほとんど休みらしい休みは取っておられないとのことで、詳しくは語られませんでしたが、その間のご苦労はいかばかりであったかと思います。
黒須社長へのご挨拶を終え、我々は次に石巻市立大川小学校へ向かいました。
大川小学校は報道などでも大きく報じられていますが、小学生・教員などを含めて100名近い方々が津波に飲み込まれてお亡くなりになった場所です。
校舎は、津波の爪痕をはっきりと残したまま、その場所に建ち続けています。
吹きっさらしの荒地に聞こえるのは風の音のみ。辺りを包む静寂が、災害の悲惨さを物語るとともに、お亡くなりになった方の鎮魂を祈っているようで、我々はただ、立ち尽くすのみでした。(あまりの状況に、写真を撮ることは出来ませんでした。)
大川小学校を後にして、車で北上。南三陸町へ向かいました。
南三陸町はリアス式海岸で有名ですが、津波の際は、その複雑な海岸線が仇となってしまい、被害が拡大した地域です。
海岸線沿いで車を停め周囲を見渡しますが、ここにも生活が感じられるような風景は何もなく、壊れたままの堤防、壊れたままの水門、以前はニュースでもよく採りあげられた、「防災センター」(女性職員が周辺住民に最後まで防災無線で避難を呼びかけていた場所。女性職員はいまだ行方不明。)などがあるのみです。
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海岸沿いは大きく地盤が沈下しているようで、ボートが係留されている場所を見ると、水面の位置が異常に高いことに気が付きます。
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また、海そのものもとても高い位置にあるように見えるため、異常な圧迫感を感じます。このような状態では、次に小規模の津波が来ただけでも甚大な被害が発生するであろうことが容易に想像できます。
ただ、仙台へ戻る道中で「南三陸さんさん商店街」という簡易商店街を作り上げ、逞しく商売を再開されている方々がおられました。一歩づつ、一歩づつ、小さな歩みが進められているようで、被災地の現状を見て私の心に大きく空いてしまった穴が少し埋まったような気がしました。
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仙台市内に戻り、被災された方のお話を伝え聞いたところ、被災された方は未だに「生と死」がとても近い位置にあり、「私は、たまたま(運よく)生きているだけ」と仰っていた、とのお話が非常に心に残り、被災地の皆さんと比較して日々普段通りに生きている我々が果たすべき「使命」について深く考えざるを得ませんでした。
震災発生から来年の3月で2年になりますが、ニュース性が少なくなったせいか、被災地の状況は新聞やテレビなどではほとんど採りあげられなくなってきました。
ただ、現地の状況はこれまで書いた通り、震災直後からほとんど変わっていません。
いまだに仮説住宅で生活している方も多くおられます。
被災地の現状は、日本国民として、忘れず、風化させず、目を背けず、自分の目で直に見つめ続けていかねばならないと、強く強く感じました。
来年、ぜひ従心会倶楽部でも被災地視察のツアーが組めないかと思い、検討を開始する予定です。実際にご自分の目で現地を見て頂き、我々が為すべきことを共に考えて頂ければ幸いです。