先日の「飛島建設海外OB・OG会」にご出席され、皆さんと親交を温めていただいた飛島建設の大澤海外支店長を尋ね、お礼を含め意見交換を致しました。
特に、従心会倶楽部の方針であるシニアの経験と叡智を活かし、シニアが活躍する場を創造すること、と外国人の活用について意見交換を行いました。

7月27日、都内にある株式会社オヤノコトネットの大澤尚宏と面談致しましたが、その訪問記を南雲康宏シニアアドバイザーにまとめていただきましたので掲載させていただきます。
7月27日(金)大谷代表と津久井さんと私で株式会社オヤノコトネット社を訪問し大澤尚宏社長と面談致しました。
同社は “少子化・人口減少時代。人口動態の変化に対応した課題解決を創造する” をテーマに多彩な事業を展開している。
大澤社長は特に介護問題に対しては強い危機意識をお持ちで、このまま有効な対策を講じないと日本は中から崩壊しかねない。しかるに国民の大多数は危機意識を持っていない。などと介護に係わる現状を熱く語り、大いに啓発されました。
少子高齢化そしてその帰結としての人口減少。国の存続に係わる問題なのに大半の日本人にはその危機意識はない。昨年日本の総人口は80万人減少した。東京の人口1,400万人と比べると大した数ではないが、80万人と言えば山梨県か佐賀県の人口に相当する。まるまる一つの県がが消滅したことになる。
少子化に関しては最近の合計出生率は日本は1.36、韓国は0.81だそうだ。
オックスフォード大学の人口学者デイビッド・コールマン博士は、韓国は世界で初めて少子化のために消滅する国になる、と予測した。
政府は 巨額の予算措置を伴う “異次元の少子化対策” を発表しました。極端な少子化が進むと日本民族が消滅するかもしれないという危機意識をすべての日本人が共有すべきだと思いました。
南雲康宏(従心会倶楽部 シニアアドバイザー)
The Stanhopeの
ロビーにて
株式会社従心会倶楽部
代表 大谷 武彦
ニューヨークに行ってまいりました。
今から35年前建設会社時代に4年間滞在した所です。
当初、ニューヨークに現地法人を設立し、米国東海岸におけるビジネス展開を担当いたしました。 ニューヨーク現地法人の設立経営、ホテルの買収と経営、コンドミニアムの建設。ワシントンでは設計会社の経営、ボストンでの住宅開発。更にはマイアミやアトランタでのリゾート開発やコンサルタントなど多岐にわたっておりました。
帰任して歳月が流れました。今回は12年ぶりの訪問でした。当時苦楽を共にした米国の知人の殆どは移動、若しくは幽冥境(ゆうめいさかい)を異にしておりました。
携わった建築物、事務所、郊外の住居も昔のままの面影でした。
また心を込めてグランドゼロに赴いて合掌をしてまいりました。
演奏会、ミュージカル、クラッシック、美術館巡りなど、感慨一入なものがありました。
長い歳月の経過が一瞬にして胸中を駆け巡り、暫し呆然としたものでした。
350park ave 。かって事務所を構えていたビル前面の道路は激しく人が行き交い、ビルに入るビジネスマンは颯爽と歩を進めています。つられて思わず中に入って苦笑しつつも奮戦した日々を一瞬思い出す のでした。
995th ave (メトロポリタン美術館前)
1926年に創業したこのホテルは長い歴史の中で、アメリカ特有の開かれたグランドホテルとして世界の要の定宿となっていました。
1989年、chapter11案件になっていたのを買収。客室数142、内スイートは85室。高い付加価値を付けたホテルは要人に愛され続けていました。 ケネデイ家、ロスチャイルド家、オナシス夫人、ジーナ・ロロブリジーダなど多くのVIPに支持されました。
又、G7(主要国首脳会議)の財務大臣会合にも利用されたことでも知られています。
このホテルの総支配人ニール・トラボウイッチ氏は飛島社長がスカウトした優れた才能を有するホテルマネージメントの権威でありました。飛島章社長とニールはバーの片隅で口角泡を飛ばしてホテル論を展開していましたが、次々に成果を上げたころの姿が思い出されます。そのニールは現在は消息不明..
このホテルは 内装を大きく変えて、高級コンドミニアムに変貌を遂げましたが、今でもニューヨークの著名人に愛され続けております。
このコンドミニアムはNYの老舗の不動産会社、zeckendorf.coとJVで開発しました 。アメリカのコミック、バットマンの架空都市ガッサムから命名したこの建物は、風格のあるコンドミニアムとしてすっかり地域に溶け込んでいました。
今は亡きゼッケンドルフ氏はニューヨークの第1級の企業経営者でした。私は、折に触れ郊外の別宅に招かれ、クラッシック音楽を聞きながら、ワインを傾け、含蓄のある話に感動したものでした。その部屋から庭の木々の隙間を通して眺めた星空は、今も心の片隅で思い出したように時折輝く。
2011年9月の米国を震撼させたテロで崩壊したツインタワービルの跡地に建てられたメモリアルに赴き、テロにて犠牲となった畏友 田中謙一郎様(富士銀行)に心より哀悼の意を捧げました。共に頑張った日々の追憶。
新しい建物も建築され、その日がまるでなかったかの様な厳しい初夏の日が輝いておりました。
ニューヨークから電車で1時間。その頃住んでいたScarsdale村は、あれから35年の歳月が流れて、緑一色の静かな村に変貌していました。道路脇の大木に身を託すると、リスが飛び回り、一瞬笑みを禁じ得ませんでした。 往時と同じ風景でした。
株式会社クレオの創業者である川畑種恭さんを囲んで旧交を温めました。当従心会俱楽部では大谷代表が社長、会長を務められたほか多くの会員を擁します。
株式会社クレオは、来年3月22日に創立50周年を迎えます。この記念すべき年度を前にして、関係者で旧交を温めよう、ということになりました。年度も改まった4月18日(火)、場所はかつて川畑さんはじめ多くのクレオ関係者が通った銀座のクラブ”酔族館”で、急な声掛けにもかかわらず集まってくれた総勢10名の参加者をもって行いました。
お二人以外は、元クレオ社長の土屋さん、元取締役の太田さん、現監査役の雨田さん、総務部長の川辺さん、中堅幹部として活躍された山城さん、藤井さん、森さん、元女性秘書の西山さんが参加されました。
久しぶりの邂逅(かいこう)で話が弾みましたが、それにもましてカラオケに興じ、暫し時の流れは止まったままで