風狂盲人日記 ㉝ 貴志祐介 ―― 娯楽小説の鬼才

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「貴志祐介 ―― 娯楽小説の鬼才 」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年7月29日

 視覚障害者となってこの3年強、点字図書館から古今東西の小説、評論類の朗読CDを借りて聴いている。今年に入ってからは、Amazon のオーディオブックでも大量の文芸作品があることが分かった。毎週1~2回外出する以外は、ほとんど毎日自宅で書斎に座ってそれらを交互に12時間以上聴いている。ほぼ1日1冊のペースなので、1年間に軽く250~300冊くらいの読書量(聴取量)となる。若い時から気に入った作品があると、その著者の作品を次々に読んでいくことを習慣にしていて、朗読CDやオーディオブックも面白い作品にぶつかると、すぐにその著者の他の作品を聴く方法を続けている。


作家 貴志祐介氏

 そうした中で、この半年すっかり魅せられたのは貴志祐介(きし・ゆうすけ)だ。1959年生まれというから、私より丁度一回り若い。京都大学経済学部卒で、生命保険会社に数年勤務した後、作家になった。その出世作が『黒い家』(1997)で、京都洛北の藪の中にある黒塗りの一軒家を舞台に、そこに住む中年夫婦が保険金殺人を実行していくというストーリーなのだが、話の展開がおどろおどろしく、巧みな描写でホラー(恐怖)映画さながらで、実に面白い。この作品がホラー小説大賞を受賞したのも十分頷ける。

 次の『天使の囀り』(1998)は新聞社主催のアマゾン調査団が帰国後次々に自殺とも事故死とも不明な不可解な死に方をするミステリーだ。その原因として、調査団の一行が密林に住むウアカリという猿の肉を食べた結果、サルの体内に生きていた長さ数ミリの線虫が人間の脳の中に入り込み、神経を麻痺させるという話で、これも全く架空の生物なのだろうが、その動き方や影響力に不気味な迫力があって、息を詰めながら聴き入るしかなかった。

また、『青の炎』(1999)は母子家庭でアルバイトをしながら優等生である高校2年生の男が、家庭を崩壊させた養父を殺し、それに疑いを持つ不良同級生が恐喝してくるのをまた殺すという小説だが、その詳細な殺人計画も面白いし、頭の良い少年の屈折した心理が見事に描かれていて、結末のつけ方には読者の胸を打つ痛ましさがあった。

 『硝子のハンマー』(2004)は推理小説の定番である密室殺人の謎を解く小説なのだが、その殺人の方法と犯人のアリバイ崩しなどに全く予想外の展開があって、実に面白く、日本推理作家協会賞を受賞したのもうなずける。この作品では「防犯コンサルタント」を自称する中年男と独身の美人弁護士がコンビとなって犯人探しに取り組んでいる。この二人のキャラクターの作り方が極めて魅力的で、この作品を読了したら絶対にこの二人のコンビの連作ができるはずだ、と思った。案の定、このコンビを主人公にした短編、中編の連作もあり、いずれも殺人事件の解明にホームズ、ワトソン・コンビのような取り合わせで、面白く話を展開している。特にこのコンビは、連作が進むごとに二人の会話にコメデイータッチが濃くなり、ユーモアたっぷりに笑わせる作品に発展している。これはテレビか映画でシリーズとして十分続けられるものだなと思った。

 さらに、『新世界より』(2008)は60憶年の地球の歴史を概観しながら、人類の愚かな核戦争によって地球が亡び、その前に月や他の惑星に移住していた人間が地球に戻って新しい歴史を作ろうという、まさにスペースオペラで、その稀有壮大な構想力と綿密な科学的説明で荒唐無稽な話がリアリティーを持って描かれている。これがやはりSF小説大賞を受賞したというのも頷ける。この小説を聴いた時には、『日本アパッチ族』や『復活の日』『日本沈没』と驚異的な作品を作ってくれた小松左京の後を継ぐに足るSF作家の誕生だ、とも思わされた。

 また『ダークゾーン』(2011)はプロの将棋棋士を目指す青年たちの厳しい将棋戦と、同じ主人公たちが全く異空間の閉ざされた土地、それも長崎沖の軍艦島のような廃坑を舞台に二組に分かれて殺し合いを続けるという設定で、その戦いは丁度ビデオゲームで互いの力量を冷静に計算しながら殺し合う方法と酷似している。

 なお、この著者の作品群全体に言える特徴として、スズメバチ、ジョロウグモ、アリなど昆虫の生態が呆れるほど詳細に描かれていることが挙げられる。それが作品に一種異様な不気味さと恐怖感を醸し出す道具立てに効果的に使われている。詳細な事実をマニアックに描いていく力量には脱帽せざるを得ない。そうした魅力を持つ彼の他の作品が早く朗読CD、オーディオブックになってほしいと期待している。

(つづく)