風狂盲人日記  ㉛ さだまさし:人生の応援歌の語り部

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、数年前緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」としてご寄稿いただいておりますのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「 さだまさし:人生の応援歌の語り部」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2024年5月31日

 この3ヶ月ほど、さだまさしのCDを繰り返し聴いている。北千住の足立区図書館には3万枚のCDがあり、この3年間毎月10枚以上借りて聴いている。歌手で所蔵枚数の最も多いのは日本人で美空ひばり、外国人でエルビス・プレスリーだろうと思って尋ねたら、二人とも35枚ずつで、トップがさだまさしの52枚だった。そのうち8枚はコンサートでの曲の合間に話すトークだけを収録したもの。彼のコンサートは音楽以上にお喋りが有名で、確か1980年頃雑誌『文芸春秋』が彼のコンサートのトークだけを全文収録したものを掲載し、それを読んで爆笑した記憶がある。

 さだは1952年長崎市生まれ。私より5歳若い。1970年代初めにデビューし、その後40年以上にわたって重ねた全国コンサートツアーが4400回にのぼるというから、実に年に100回以上ステージに立っている訳で、これも歌手として驚異的な数字だ。

 戦後生まれのシンガーソングライターのほとんどは、様々な恋愛模様を語ることがほぼ全て、と言ってもいいのだが、さだの場合は恋愛話だけでなく、家族のこと、故郷(ふるさと)のことを歌っているものが相当多いのが大きな特徴だ。恋愛ものにしても、「恋」という言葉が極めて少なく、ほとんどが「愛」となっている。その違いは、ある曲で「求め続けるのが恋、与え続けるのが愛」と定義している。その愛も「君と僕」「俺とおまえ」の間に留まらず、父と母、家族、さらに故郷へと広がっている。

 「ふるさと 母の生まれた町、人を愛した町、人を恨んだ町、人と別れた町」と語る。彼の初期のヒット曲『精霊流し』は、恋人を海の事故で亡くした女性がその霊を慰める行事に弟と加わった物語にしている。これは、戦後中国から引き揚げて長崎市内で喫茶店を開いた「椎の実」のママの一人息子の早すぎる死を悼んだ歌であり、そのママも不治の病で三度の手術をして亡くなったことを『椎の実のママへ』という曲で描いていて、そのママがさだの実の叔母さんであったことを最後に明かしている。

 私が最初に名曲だと思ったのは、『無縁坂』だ。

 「母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を登る度 いつもため息をついた・・・運がいいとか悪いとか 人は時々口にするけど そういうことって確かにあると あなたを見ててそう思う・・・かみしめる様な ささやかな僕の母の人生」

というものだが、この美しいメロディーを聴くと、自分の母親の姿と重ね合わせて思わず目頭が熱くなってしまうのは今でも変わらない。

 さだが社会現象的に話題になったのは『関白宣言』だった。

 「お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがある かなり厳しい話もするが、俺の本音を聞いておけ」で始まり、「俺より先に寝てはいけない 俺より後に起きてもいけない 飯はうまく作れ いつもきれいでいろ できる範囲で構わないから・・・忘れてくれるな 仕事も出来ない男に 家庭を守れるはずなどないってことを・・・子供が育って年を取ったら・・・俺より先に逝ってはいけない・・・俺の手を取り、涙のしずく二つ以上こぼせ お前のおかげでいい人生だったと俺が言うから 必ず言うから」

というもので、男が偉そうに語るのが面白くて笑ったものだが、これが発表当時女性たちから時代遅れの封建的な男上位の考えを示すものと猛反発された。この『宣言』の意味することをまるで理解していない反応に驚き呆れたのだが、さだもしっかりとコンサートの中で『関白失脚』と題して見事に反応している。それは

「お前を嫁にもらったけれど 言うに言われぬことだらけ 俺より先に寝てもいいから 夕飯ぐらい残しておいて・・・・」と実際には妻が「食っちゃ寝」の生活をしていることに皮肉を漏らし、「仕事もできない俺だが、精一杯がんばってんだよ 俺なりにそれなりに・・・ムダなダイエット、ムダな体重計・・・テレフォンショッピング、買い物ぐらい体動かせ・・・今日も君たち(妻子)の笑顔守るために 仕事という名の戦場へ赴く 右に定期券、左に生ごみ 人は私を哀れだと言うけれど 俺には俺の幸せがある」

と語り、コンサート聴衆の爆笑を何度も浴びていた。

 さだの曲の真骨頂はその美しいメロディーラインにある。それは1980年代から20年以上にわたって断続的に製作された倉本聰・作のTVドラマ『北の国から』の主題曲がそうだし、さらに、日露戦争の激戦を描いた映画『二百三高地』の主題曲『防人の歌』によく出ている。特に『防人の歌』では

 「教えてください この世に行きとし生けるものの 全ての命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか」

と問いかけ、更に

「春は死にますか 秋は死にますか 夏が去るように 冬が来るように みんな逝くのですか・・・ 私の大切な 故郷もみんな 逝ってしまいますか」

と続く。戦争の悲惨さを直接一切語ることなく、人間と自然の生死を示すことで優れたメッセージソングになっている。

 また彼の歌詞で頻繁に使われるキーワードは「約束しよう」と「幸せになろう」であり、その先に、人の生き方としてみんなが生きることにも愛することにも不器用であることを強調して、「当たり前に生きよう ささやかでいいから」と歌い上げる。それは生きることに疲れた人への優しい慰めの言葉でもあり、また「頑張れ、頑張れ」と聴衆を巻き込んで大合唱を誘っている。私自身、彼のコンサートを3回観ているが、聴衆の7割は女性。彼の曲が「私」を主語にした場合には、その語り手が男とも女とも取れる両性具有性をよく示して、特に女性たちの共感を得ていることは間違いない。メロディーも伸びやかな高音で歌い続け、淡々と語り続けるのは、人間の一生を優しく見ながら肩を叩いて励ますもので、人生の応援歌を歌う語り部と言えるだろう。

(つづく)