風狂盲人日記 ⑥ 日韓の認識ギャップ

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「日韓の認識ギャップ」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄 先生

2022年 6月末日

 先日、ある民間研究団体が主催した日韓学生交流座談会をZoomで傍聴した。参加者は両国の大学生4人ずつ。韓国人はいずれも都内の有名私立大学に在籍する留学生たちで、全員が流暢な日本語で同世代の日本人学生といろんな意見交換をした。

 その中で特に印象に残ったのは、今世紀に入って両国の外交関係が殆ど改善されない中で、学生間の交流が確実に活発になっているにもかかわらず、お互いに「今後の日韓関係は改善される」と明るい見通しを持っている人が少ないことだった。韓国では5月に保守系の新大統領が誕生したが、国民の支持率は47%であり、進歩系の対立候補が46%を得ていて、新政府の政治基盤が極めて不安定なものであることを若者たちも敏感に意識していた。

 それを聞きながら、韓国人の対日イメージ、日本人の韓国イメージが、この半世紀以上殆ど変わらない落差を示していることにも気付いた。

 私が新聞記者になって間もない1970年代、韓国からの当時の留学生や学者などと会って色んな話を聞いた中で、幾つか驚いたことを思い出した。一つには、韓国人の間で日本歴史上最も許せない人物として第一に伊藤博文、第二に豊臣秀吉が挙げられていたことだった。伊藤博文は日本では明治憲法下で初代内閣総理大臣となり、都合4回の内閣を組織した明治の元勲であり、元老として今日でも近代日本の功労者の一人と高く評価されているのだが、韓国人にとっては、日本の韓国統治下になった1910年、初代の朝鮮総督となっていることをもって「日本帝国主義の権化」とうつた。そのため伊藤が朝鮮半島を初めて視察した折、奉天で現地の若者安重根に暗殺されたのだが、朝鮮人側からすれば、安重根はその後も国民の英雄、あるいは近代朝鮮の歴史の偉人として長く称えられ、第二次大戦後は記念館も設立されて、彼を顕彰している。

 それだけに、日本が70年代に経済的に急激な発展を遂げ、韓国へも何十万もの人がビジネスで、あるいは観光で訪れるようになった時に日本円が現地でも通用したわけだが、当時最も広く使われていた千円札には伊藤博文の肖像画が使われており、韓国人学者から言われた「日本で最も嫌う人物の肖像画が載っている紙幣を有難がってもらうことに対する韓国人の心のうちを理解してほしい」という言葉がその後ずっと私の胸の中に留まっていた。そういう批判が韓国から出始めているということを聞いて、大蔵省でも千円札の肖像画から伊藤博文を外そうという動きが出ていると聞き、後に夏目漱石、野口英世に変わったといういきさつがある。

 また16世紀末朝鮮侵攻を図った秀吉軍に対抗した李将軍は、今日でも朝鮮史の輝ける英雄として称えられているが、今日の日本人でもそうした事実を知っている人は極めて少ない。
 さらに言えば、日本が近代化、西洋化に成功した象徴として称えられる日清戦争(1894-95)、日露戦争(1904‐05)にしても、主な戦場は朝鮮半島であり、そうした強国の戦火に家を焼かれ、田畑を荒らされ、逃げ惑った最大の被害者が朝鮮人であったということも、日本人は殆ど意識していない。

 それにつけても、現在の大学生たちの座談会でも彼ら自身が認めていることだが、お互いの国に対する歴史認識に相当の隔たりがあるということが明らかにされた。韓国では中学・高校以来、韓国史を学べばその大半はまず過去150年の近・現代史から勉強するのであって、しかもその70%ぐらいは日本との関係、つまり日本に抑圧されてきた関係ということが強調されてきた。それがまた、慰安婦問題や労働者の強制連行問題、最近では徴用工の問題などにも間欠的に吹き出して、外交関係の改善の重要な支障になってきていることは間違いない。逆に日本では、日本・世界の歴史は、中学・高校で学ぶ場合古代から始めて、ほとんどは20世紀初めまで、つまりせいぜい日露戦争までの歴史で終わりであって、1930~45年の日中15年戦争の模様も殆ど教室では学ばないし、太平洋戦争についてもまず学ばない。その理由は、高校受験、大学受験でその辺の問題が出ることはまずないからであり、過去40年ほど日本人の10代から20代の若者にとって、ほとんど20世紀の歴史というものを学んでいないという問題がそこによく表れている。

 またそういう歴史認識を正そうと、1990年代に日韓両国の政治学者、歴史学者が集まって、両国で使える若者向けの近現代史の歴史教科書、あるいは副読本を作ろうという動きがあったが、結局はその両国の学者同士の間でも激論が続いた結果、どうにも調整ができないということで沙汰止みになった、という経緯もある。朝鮮は古代以来強大な中国の影響を強く受けながらも、独自の文化と技術を育て、奈良時代以降中世まで、日本にもその優れた美術工芸を輸出してきたが、19世紀以降は大国の侵攻に晒され、戦後も南北に分断されるという悲劇を味わってきた。それが今世紀に入ると、科学技術面、経済力で「日本に追いつき追い越す」勢いを持ち、特に韓国では国家としてのプライドも強く意識されるようになってきた。

片や日本は、明治時代から「近代化=西洋化」を目指して「富国強兵」をスローガンにしてきたが、1945年以降は軍事力を厳しく抑えられる中で「富国」に特化し、成功してきたものの、1990年以降はその経済力も急速に低迷し、国民自身も日本に対する誇りを大きく失ってきている。

 日韓両国民にとってお互いに意識の上では「近くて遠い国」であり、その認識ギャップを埋めるのはなかなか容易ではない。

(つづく)