風狂盲人日記④ モーツアルトはピアノの天才だ!

従心会倶楽部の顧問で国際教養大学名誉教授の勝又美智雄先生は、昨年緑内障の悪化で失明され、ご不自由な生活を余儀なくされておられます。
このような中、近況を「風狂盲人日記」として数回にわたってご寄稿いただけることになりましたのでご紹介させていただきます。
今回のテーマは「モーツアルトはピアノの天才だ!」です。

株式会社従心会倶楽部 顧問
国際教養大学 名誉教授

勝又 美智雄

2022年 5月 ×日

 昨年末親しい人たちに宛てた近況報告文に「新年はモーツァルト、ベートーヴェンのCD全集を全部聞き比べるつもり」と書き送った。すると、新年早々秋田に住む教え子が「亡くなった父の遺品です。良かったら聴いてください」とドイツ製のモーツァルト全集CD約60枚を送ってきてくれた。急いでお礼の電話をすると「父はずっと “モーツァルト・オタク” で、家にはLPレコード、CDが大量にあって、どう処分するか実は困っていました」とのこと。私にとっては、生まれて初めての豪華なお年玉となった。
 早速、1月から4月まで毎週4回、数枚ずつ次々に聴き、漸く全て聴き終わり、気に入ったものは2回、3回と聴き直してきた。
 そこで改めて驚いたのは、全集の約半分がピアノ曲であること。その曲調といい、技巧を凝らした演奏法といい極めて独特なもので、「モーツァルトはピアノの天才だ」と感じ入った。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756‐91)は西洋音楽史上、教会ミサを中心としたバロック音楽からベートーヴェン以下の古典派、ロマン派に繋がる本格的なクラシック音楽の花開く間の繋ぎ役に位置している。家内に確認してもらったところ、ピアノは1700年代の初めに登場したようで、その後改良を重ねてモーツァルトの時代に一気に楽器の王様として君臨するようになった。モーツァルトはその王様(バイオリンは女王あるいは王女と考えられる)の魅力を極限にまで押し広げる役割を果たしたのではないか。

 彼のピアノ曲の最大の特徴は、鍵盤の左端から右端まで(当時はまだ5オクターヴであったが)を縦横に上り下りし、同時に指を絶え間なく小刻みに動かして、コロコロコロ、トットットットットンとピアノの持つ様々な音色を見事に生かしていることだと思う。主題(テーマ)はどんどん変化していき、突如別な主題が現れ曲調が変わったと思っていたら、さらに第三の主題が登場するという形で、曲全体の流れがつかみにくい。しかも終わりがかなり唐突で、突然パタンと尻切れトンボのように終えてしまうことが多い。その様子はまるで、公園に遊ぶ幼児がいきなり歓声を上げて走り出し、急に立ち止まって蟻の行列を見たり、草花が風に揺れるのをポカンと見つめ、さらに木漏れ日を仰いで眩しそうにしていたかと思うと、全く別方向に嬌声を上げて駆け出すというような、どこにどう行くか分からない、そういう趣が非常に強い。そういうところがとても面白いし、また彼の曲の魅力にもなっていると思う。ベートーヴェン以下のピアノ曲が起承転結を明確にし、曲全体の流れに統一感があるのとは対照的だ。

 モーツァルトといえば、中学校時代の音楽室の壁の肖像画を思い出す。バッハ、ヘンデル、ハイドンに次いでモーツァルト、次にベートーヴェンからチャイコフスキーまでがいるのだが、他の作曲家達の肖像画が全て成熟した大人の顔をしているのに対し、モーツァルトだけ15、6歳かと思われる少年で、髪はオールバックで小柄な顔に目を大きく見開いて、両口元を大きく頬に上げて笑っている。その最大の特徴は、アンバランスな大きな鼻だった。これは恐らく少年モーツァルトにとってもコンプレックスだったのではないか。彼は5歳の頃から「神童」ともてはやされて、宮廷内を自由に走り回っていたが、最大の遊びは居並ぶ貴婦人の大きなスカートの中に潜り込むかくれんぼであり、その時も、また作曲する時も常に「ケケケ、キャハハ」と笑い声を立てながら剽軽な道化者を演じていたことだろう。

 現代アメリカの劇作家P・シェーファーの『アマデウス』は宮廷楽団長のサリエリと若者モーツァルトとの対照を描いた傑作だが、サリエリが「天才と誉れ高いモーツァルトを凹ましてやろう」と自分の最新作の楽譜をさり気なく示して、「これぐらい書けなければ作曲家とは言えない」と自慢げに言ったのだが、モーツァルトはそれを一瞥するとすぐにピアノに向かって暗譜で全曲を弾き、「とても良くできているけれど、こうすればもっと面白くなるんではないの?」と言って随所に装飾音を加え、主題をどんどん変奏する形で変えていき、曲調全体をより華やかなものに変えてしまった。その驚嘆すべき力量に絶句したサリエリをしり目に「じゃ、ボクは遊んでくるから」と言って軽くステップを踏みながら部屋を出ていく。サリエリは「神はあんな小僧にここまで音楽の才能を与えたのか」と悔しがるシーンがある。この劇は映画も非常に良かったが、日本での上演はサリエリを松本幸四郎(現白)が好演し、その後再演を繰り返し、彼の当たり役となっている。
 モーツァルトが35歳で亡くなった時、弔問に訪れた人たちが「ご主人は歴史に残る偉大な作曲家でした」と口々に誉めそやしたが、幼な妻のコンスタンティンは少し頭が弱かったようで「あのお下劣な冗談ばかり言っている道化者が?!」となかなか信じなかったという。

 盲人になって散歩で公園のベンチで休んでいる時など、子どもたちの歓声を聞くと、よく学生時代に覚えた “I Believe” が脳裏をかすめる。
「私は信じている。真っ暗な夜でもローソクの光が輝き、嵐の時も天上のどこかで誰かが私の小さな祈りのつぶやきを一言逃さず聞いていてくれることを。赤子の泣き声を聞いたり、木の葉に触ったり、木漏れ日を仰いだりする時、私はそういう誰かがいることを確信している」
 CDを送ってくれた教え子は、十代の頃母子家庭となって相当な苦労をしたらしい。卒業の時、親子で私の部屋を訪ねてきて「娘がこんなに明るく元気になったのはこの大学のおかげです」「私が何とか卒業できたのは先生のおかげ」と二人から深々と頭を下げられ、私は胸が熱くなった。彼女はハワイで2年働いた後、故郷に戻って母親の経営する英会話教室を手伝っている。正月の電話で、彼女は「先生、目が見えなくても大丈夫。是非また秋田に頻繁に来てください。私が空港なり新幹線の駅に迎えに行って、先生の行きたい所、会いたい人に付きっきりで杖代わりになって案内しますから」と言ってくれた。お世辞の言えない子なので、額面通りに受け止めて感謝した。本当に心根の優しい子だ。
 父親はきっと娘が「神に愛される者」として元気に活躍することを願っていたに違いない。その娘が今後故郷で生活の幅を広げていくのか、それとも再び海外に出て仕事を得るのか、それは「神のみぞ知る」だ。そして私もまた、彼女がこれからどこで何をしようと、「神の加護」を得て快活に生きていくことを願っている。見えない目で空を仰ぎながら、小さなつぶやきをどこかの誰かが聞いてくれていると信じながら。
(つづく)

P.S. この日記はだんだん、参考資料に当たる間もないまま独断で書くことが多くなると思います。読者の皆さんの自由な感想、ご意見をお聞かせください。できるだけそれに誠実に応えたいと思っています。このニュースレターがシニア世代の自由な意見を言い合うサロンとなることを願っています。