従心会俱楽部 顧問の勝又先生からの寄稿「2020年の回顧と展望」

 年末にあたり、従心会倶楽部顧問の勝又美智雄先生より「2020年(令和2年)の回顧と展望」を寄稿いただきましたので掲載させていただきます。

 皆さん: 本当に大変な1年でしたね。
年初には全く想像もしなかった激変の連続でした。「グローバル化の時代」を象徴するようなコロナ禍に世界中が恐れおののき、皆さんも、否応なく振り回されてきたことと察します。
何はともあれ、年末恒例の私家版「回顧と展望」をお届けします。

 まず、私の最大の事件は、予想もしなかった病魔に襲われたことです。
この2,3年、路上や駅の階段などで転倒することが何度かあり、新年早々、糖尿病で定期検診を受けている三井記念病院(秋葉原)の整形外科で「頚椎症性脊髄症」(舌を噛みそうな複雑な病名で難病です。要は首のところの脊髄に異常がある)と診断されました。放置していると手足のしびれ、けいれんがひどくなり、大きな事故を起こしかねない、と早期手術を勧められました。
たまたまコロナの影響で4月以降8月まで講演や出張、会議の類がほぼ全面キャンセルになったのを「奇禍」として、6月に3週間入院して手術を受けました。3週間もの入院は生まれて初めてです。聞けば日本での発症・手術例はまだ少なくて1000例ほどで、脊椎に沿って首の後ろを15センチ切り、脊髄の流れを良くするという手術で、成功率は80%くらい、とのことでした。担当医(副院長)が「私、割合得意ですから」という言葉を信じて、20%にならないよう祈るばかりでした。手術は2時間半の予定が3時間半。首の骨が異常に丈夫で、周りの筋肉が密集して切開するのに手間取った、とのことでした。私の頭も筋肉も硬くて固くて「3密」状態だったのですね。

一応手術は成功、ということで、あとは術後のリハビリに数か月かかる、ということです。
それとは別に、目と耳に異常が起きました。目は3年前に白内障の手術をして両目の視力が1・2にまで回復して喜んでいたのですが、この夏から右目の視界に薄墨を塗ったような感じで、テレビ画面も電光掲示板も信号機もほとんど見えなくなりました。近所の眼科医に診てもらっていますが、糖尿病の合併症ということで、レーザー治療と点眼薬で何とか「視力ゼロ状態」になるのを抑えているところです。加えて、11月から左目にも薄膜がかかり始め、慌てています。
さらに夏以降、良かったはずの右耳も急速に悪くなり、メヌエル病と診断されました。目と耳がこれ以上悪くなったら、日常生活も大きな支障が起きそうです。MRIなどいろんな検査を受け、医療費も重なって、経済的にも厳しい状態が続いています。
 さらに加えて、毎日酷使していたパソコンが4年半で故障しました。内蔵していた膨大なデータ類を取り戻すのに3万円以上かかり、PCも買い替えるしかなく、それで10万円以上の出費が重なり、もう「トホホ状態」です。今月届いたばかりの新しいPCを使い慣れるのにも苦労しています。

 社会活動も激変しました。「グローバル人材育成教育学会」の会長として、9月に関東支部大会、11月に中国四国支部大会に参加しましたが、どちらもZOOMを利用した遠隔会議でした。今年度の全国大会も新年2月に九州支部大会と合わせて鹿児島大学で開催する予定ですが、これもZOOMになります。

 一般財団法人、日本語教育振興協会(日振協:佐藤次郎理事長)の評議員兼評価委員の仕事として、全国各地の日本語学校の現地審査に出かけたのも4月が最後で、この夏以降はZOOMによる審査で、現地の校長や教務主任とやり取りしています。公益社団法人、国際日本語普及協会(AJALT、関口明子理事長)の理事会もZOOMになりました。
  また17年春から3年間の期限付きで始めた「中嶋嶺雄研究会」は、昨年末に開催した第6回公開フォーラム「国際関係と地域研究」で終了しました。昨年夏に開催した第5回公開フォーラム「日本外交への提言」の概要を今年1月に刊行したのが、事実上の研究会活動の最後になりました。
 また昨年秋から理事に委嘱された国連技術開発協会(UNITAR=途上国の人材養成研究機関)の活動としての講演も今月、ZOOMで行い、画面には出て来ないけれど、全国各地だけでなく、海外からも視聴していることが分かって、ちょっとびっくりしています。
 さらに昨年から一般社団法人、グローバル教育研究所(渥美育子理事長)の理事となって、新年には「世界共通教育宣言」の活動や「グローバル度検定試験」の開発などにも関わる予定です。

なお17年から副会長をしている「東外大留学生支援の会」も、コロナで留学生が来日できなくなっていることなどで事実上、活動休止状態が続いています。幸い、谷和明・東外大名誉教授が今春、新会長に就任して、外大留学生課、学生課との連絡を緊密に取りながら、支援の会として何がどこまでできるのかをきちんと押さえながら会の運営を進めてくれていて、まことに心強い限りです。

 こうした状況で、今年はほぼ30年ぶりに海外旅行はゼロ。国内も春に沖縄に2週間、夏に札幌の大学の経営陣に「大学改革」の集中セミナーをやり、9月に福島の高校で講演したくらい。10月に秋田を2年ぶりに訪問してゆっくり友人たちや教え子たちと歓談できたのがとても良かったです。

執筆活動では、静岡新聞から頼まれて4~6月、夕刊1面のコラム「窓辺」に毎週1回、計13回、エッセイを連載しました。昨年から懸案になっている『最強の英語学習法』(IBC出版、2017)の続編を書く計画は、コロナでほとんど取材ができなくなり、停止状態が続いています。何とか新年の夏までには出版する予定ですが、さて・・・。

 我が家で今年最大のGood News=ハイライトは、妻の百合子が、カナダ・BC州のヴィクトリア大学で博士号を取得したことです。今春の最終の口頭試問もZOOMで行われる変則事態でしたが、4人の試験官全員が「合格」と判定しました。博士論文のテーマは「歌舞伎台本を利用した日本語教材の作成とその効果の検証」です。日本人主婦、71歳の快挙です。
 2009年に60歳で「勉強がしたくなった」と、同大アジア太平洋文化研究科修士課程に入学。たまたま同大が国際教養大学(AIU)の提携校で、私も教授時代に訪問してなじみがあります。そこで中嶋嶺雄学長の推薦文(私が代筆)をつけたところ、「学長がこれほどほめるなら」と授業料免除の特待生で受け入れてくれました。修士論文は「日本人はなぜ忠臣蔵を好むのか」という歌舞伎の社会文化史的研究でした。修士は2年で修了、指導教官らに博士課程に進むよう勧められ、同研究科には博士課程がなかったので、2012年に博士課程のある言語学部応用言語学科の修士課程に入り直し、修士の必修4科目を1年間ですべて「A」を取得することが条件でしたが、無事にクリアーし、2013年に博士課程に進学、7年がかりで達成したものです。
 お祝いに博士号授与証を入れる額縁を2万1千円で作成してプレゼントしました。
 妻は今、自宅でZOOMを使って在日中国人の主婦らに「生活日本語」の中上級レベルをボランティアで教えています。ロスに住む長男が20キロの減量に成功したと知り、それに刺激を受けて毎日、1万歩以上の散歩に、ヨガ教室に通って頑張っています。

 妻を歌舞伎ファンにしたのは私ですが、私はこの秋、ついに歌舞伎との縁に区切りを付けました。
 1990年、ロサンゼルスから帰任して以来、歌舞伎通になろうと決めて、歌舞伎座と国立劇場の歌舞伎公演をすべて見て、古本屋巡りをしては関係書を買い集めました。それをそろそろ「終活」準備で整理しようと思い立ち、大阪の「高価買取」の古書店に引き取ってもらいました。”目玉“は1947年から2016年までの歌舞伎専門雑誌・月刊『演劇界』が全冊そろっていること、さらに各種歌舞伎全集、写真集、評論集から公演プログラムや台本などが段ボール箱で23箱になりました。事前に本棚の写真を送ったら、見積もりは3万円、結局、引き取り値は3万3千円でした。軽く千冊を超える本を集める苦労エネルギー、投じた金額から考えると、悔しい思いが強いですが、冷酷な「資本主義の論理」で仕方ない、とあきらめるしかなかったです。

 そんなこんなで、振り返れば悲喜こもごも。「コロナで自粛」と言いながら、実際にはほぼ週に3回は近くのNY(=ニューヨーク=銭湯)に通っています。これが気分転換に最高です。夕方は70~80代の常連さんに刺青のおじさんたちでにぎわっています。庶民の町、足立のDeep Spotsを楽しんでいます。
 新年にはますます「老人力」をつけ、病院通いが続きそうですが、折を見て、また皆さんと一緒に楽しく飲み、食べ、おしゃべりしたいと願っています。
どうぞ、よろしくお願いします。

勝又美智雄・国際教養大学名誉教授
〒120-0011 東京都足立区中央本町2-14-17-207