広島、鹿児島支部設立にむけて

東京の桜も満開となって、4月の第一の土日が最後のお花見のラストチャンス
気象庁発表の天気情報では発達した低気圧の影響で、日本列島は大荒れとなり、花散らしの嵐になるであろうということであったが、私の場合いつも嵐と行き違いになるので広島、鹿児島へ向けて出発した。
飛行機代もシルバー空割を利用すると片道「¥12,170-」で広島まで行けるけが、広島から先の空の便が無くなって、JR西日本を使わざるを得なくなり、東京から鹿児島までJRを利用した方が安くなることが判った。
東京駅から「ひかり」に乗りのんびり広島、までいくことにした。が、ひかりも広島行の直通便はほとんどなく、岡山にて乗り換えていくこととなった。
車窓から桜の咲き具合を観察したところ、関東に比べ西の方が遅く岡山までは満開の桜を車窓から楽しむことが出来た。
広島では中学の同級生の中村君と会い、昨年から依頼していた会員の増加の件について、気持ちよく手配をしてくれていて、更に5名の増加を得ることが出来た。広島支部を立ち上げるときには中村君が支部長になることなどを酒の肴に夜が更けるのを忘れて、色々よもやま話をしながら、この次は出身地である長崎県の大村市で再開する事を約束して別れた。
 翌7日は日曜日で、大谷代表も都内での所要があり楽しみにしていた「高千穂峡」行を諦めざるを得なくなり、私一人、日豊線にて大分経由で宮崎に行き、
20年前に竣工した「宮崎県立芸術劇場」を最後の見納めだと思って行くことにした。日豊線の車中では中津、宇佐、臼杵と日本史の誕生に関係ある駅を通過しながら岸下正勝氏従心会倶楽部から出版した歴史書(ヤマト民族は如何にして日本国を建国したか)を読み列車の旅を続ける。のどかな田園風景を見ながら、単線でスピードがでない電車の旅を久し振りに楽しむことができた。
ふと気が付いたことであるがリニヤーモーターカーのテストコースを見て、驚いてしまった。なんとソーラーパネルで全部覆い被さっているではないか。不要になったテストコースがソーラーパネルの架台として再利用されているではないか。
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 宮崎の芸術劇場は完成して20年経過したが、建物の周りを一回りしたが苦労して造った建物だけに本当に良くできていると思った。ただ一か所だけコンサートホールの北面の上部に「白華現象」が出ていて気になるところであった。
コンサートホールでは今年も「世界音楽祭が開催する」看板が出ていて、我々が苦労して造ったコンサートホールの音響効果が素晴らしく、世界に認められていると思うと嬉しくなった。
 8日は大谷代表と合流すべく鹿児島空港へ向かった。鹿児島には宮崎の芸術劇場で一緒に苦労して造った元の仲間たちがいて、今までは完成してからの節目の年に宮崎で集り、苦労した思い出を語りながら酒を(焼酎)酌み交わし、またゴルフをしたものでした。今は宮崎に住んでいる人間もいなく、其のうちの一人が鹿屋にいて、美味しい焼酎が飲めるから来てほしい旨の連絡があった。
鹿児島地区は入会者も多く協力的であるので、入会募集も兼ねて大谷代表と訪問することになった。ただ代表が高千穂峡と指宿の砂風呂に是非行ってみたいという願望は指宿の砂風呂しか実現出来なかった。
 鹿児島空港には宮崎で副所長で、九州支店、東京支店でも活躍され最終的には東京支店の副支店長だった折坂さんに迎えに来ていただいて合流した。
市内の城山観光ホテルで昼食後、営業所を訪問した後、営業所の副所長の壱岐さん(宮崎では南野と組んで対外的なことをやっていた)の運転で指宿へと向かった。途中北朝鮮の建物を買って評判になった「最福寺」に立ち寄った。工事完成後入金まで5~6年もかかったのに、よくも45億の金が有ったものだと思った。
 「知覧」は是非見たいと言う代表の意向もあり、武家屋敷跡と記念館を見学
した。遺書と遺留品が展示してあったが涙が出そうであった。その後「大うなぎ」で有名な池田湖を経由して「指宿岩崎ホテル」到着。早速大谷代表の念願の砂風呂に向かう、ホテルがデカすぎて何回となく迷いながらも入浴完了。メンバーも8名揃ったところで宴会場へと向かう。ホテルもデカいが宴会場もデカく東京の飲み屋さんが羨ましがるほどの広さだった。
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メンバーは鹿屋からきた元名古屋支店に居てお父さんの逝去により飛島建設をやめ故郷に帰り、宮崎の建物の施工図をてつだってくれた馬庭氏、現役のばりばりの升岡所長、協力会社で内装月野の浜島氏、設備の大橋エアーシステムの大重氏であった。
大谷代表が馬庭氏と30数年ぶりに再会したが、名古屋支店での関係がかなり深かったことが判った。
宴会での飲み物は馬庭氏ご推薦の鹿屋から持参の焼酎で「森以蔵」よりはるかに美味しい焼酎で、あっという間に2本空になってしまった。
その後幹事部屋にて更に飲み直しをして、夜が更けるまで痛飲し翌日のゴルフは忘れるぐらいであった。
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 昨日、あれほど飲んだのに全員ケロットしたもので朝食後、2004年まで男子の最終戦として行われていた「カシオワールドオープンゴルフトーナメント」の「いぶすきゴルフクラブ開聞コース」へと向かった。
7人の成績については公式な報告がないので公表できないが、うまい人とそうでない人の差がかなり激しかったみたいだ。我が大谷代表はその中でも上位の方に入ったみたいである。
 夜は鹿児島一の繁華街「天文館」にてゴルフの反省会と鹿児島支部の立ち上げについて、具体的に話を行った。二次会はカラオケにて声を大にして普段のうっ憤をはらした。その時にいた鹿児島美人のお姉さん方とのツウショットは南野のデジタルカメラで撮ったが、残念であるが操作が未熟のため消えてしまった。
 楽しかった鹿児島の二日間であったが帰る日となった。大谷代表は九州新幹線で博多まで行きたいと考えたがトンネルが多く見るところ少ないからと諦めてもらった。
折坂さんに空港まで送って貰うことにしたが30数年前に結婚式で訪れた時に新郎のお父さんに連れて行ってもらった「蒲生のクス」を思い出し、空港にも近いこともあって、寄ってもらうことにした。
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日本一の巨樹と認定をうけた推定樹齢1600年の蒲生八幡神社のご神木の「蒲生のクス」からはどしりとした存在感をうけた。以前訪れた時にはなかった社務所で、クスの大木がもたらす神々しさを感じながら抹茶を飲みながら三人でしばしの語らいをしたのち、空港に向かい意義深い今回の旅を終わらせることができた。
尚、広島・鹿児島の諸君は従心会倶楽部の活動に深い関心を寄せており、近い将来、支部を設立したいという話があり検討することとなった。