「世界で最も貧しい大統領」ホセ・ムヒカ氏

南米・ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領

ホセ・ムヒカ

現在当社のホームページに「今月の言葉No.33」を掲載しておりますが、読者からご感想をいただきましたのでご紹介させていただきます。

【今月の言葉NO.33】
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
世界一貧しいと言われた前ウルグアイ大統領・ムヒカ氏の言葉

〔読者からのご感想〕

よくご存じのことと思いますが、改めて、ムヒカ大統領の演説をかみしめております。
われわれは、いつのまにか「ビッグ」を求めてしまい「グレート」を見失いました。
改めて、本当は何を目指さなければならなかったのか、これからも間に合うのかを
真摯に考えるときが来ているようです。
空腹時に、爪楊枝を高々と使っていたかっての侍を笑っていた自分たちを反省しな
ければならないと思います。ムヒカ大統領はその武士の面影を彷彿とさせます。↓

世界で最も貧しい大統領

2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めたホセ・ムヒカ氏(80歳)が来日し、話題を呼んでいます。
ムヒカ氏は給与の大部分を財団に寄付し、郊外の質素な住宅に月1000ドル強(10万円強)で生活しており、その質素な暮らし から「世界で最も貧しい大統領」としても知られています。
この日曜日は、ムヒカ氏が訪問を強く希望していた広島を訪れ、大歓迎を受けるとともに、平和記念資料館で詳しい説明を聞く様子などが報道されていました。 広島を訪れるのは「世界で起こった最も大きな悲劇があるから」だと言います。
それにしても、清貧の政治家と言える人間が少なくなりました。 日本では名古屋の河村たかし市長が市長報酬などを大幅減額していますが、他は一般よりずっと多額の報酬等を受け取っています。
こうした政治家たちの中、それだけにムヒカ氏の姿勢が、鮮やかに映ります。

2012年、ブラジルのリオデジャネイロで国際会議「リオ会議(Rio+20)」が開かれました。
環境が悪化した地球の未来について話し合うため、世界中から集まった各国の代表者は、順番に意見を述べていきました。しかし、これといった名案は出ない中、会議も終わりに近づき、南米の国ウルグアイの番がやってきました。演説の壇上に立った当時のムヒカ大統領。質素な背広にネクタイなしのシャツ姿。 世界で最も貧しい大統領として給料の大半を貧しい人のために寄付し、大統領の公邸には住まず、町から離れた農場で奥さんと暮らし 、花や野菜を作り、運転手付きの立派な車に乗るかわりに古びた愛車を自分で運転して大統領の仕事に向かいます。ムヒカ大統領の演説が始まりましたが、会場の人たちは小国の話にそれほど関心を抱いてはいないようでした。しかし演説が終わったとき、大きな拍手が沸き起こったのです。
以下がその時の演説です。

「会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が
資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。」

これだけの哲学を持った言行一致の政治家が欲しいものです。